「きれいの輪郭」3/4
東京藝術大学中山英之研究室 × 花王株式会社
2021年4月、東京藝術大学中山英之研究室と花王株式会社による協働プログラムがスタートした。後にreframingプロジェクトと呼ばれるこの協働プログラムは、花王が長らく取り組んできた環境課題に着目。この課題に大きな視野で取り組もうと「きれいの輪郭」をテーマに、約半年間かけてワークショップを重ね、未来の生活像を描いた。その記録を、プロジェクトメンバーとともに振り返る。
「きれい」の裏側にある「モヤモヤ」
― 3回目のワークショップは隅田川を船で巡るボートツアーを経て、6月に花王・すみだ事業所での対面形式で行われました。ゲストとしては、ダイキン工業株式会社(注1)のデザイナーの方々がオンラインで参加。藝大・花王のプロジェクトメンバーの課題発表、そしてシャレット(注2)と盛りだくさんな内容になりました。
川北|ダイキンさんのレクチャーのなかでも特に印象的だったのは、「見えない空気をデザイン」する話です。日々人がもっと空気と上手に付き合っていくためには何が必要か? というアプローチをダイキンさんは自社の技術を使いながらつねに考えられていますが、空気の温湿度などをコントロールしながら「よく眠れる空間」「学習効率が向上する空間」といった、最適な空間制御の方法を研究しているというお話が挙がったんです。その、人に良く作用するように空気を操る、作り出すという視点がとてもおもしろいなと思いました。
- 注1
- ダイキン工業株式会社
1924年、大阪で創業。以来グローバルな総合空調専業企業として、世界170カ国以上で事業を展開。空気であらゆる課題を解決し、新しい価値を創造し続けている。ワークショップのゲストには、主にダイキンの技術開発拠点で、部門の壁を越えた協創活動のプラットフォームである「テクノロジー・イノベーションセンター」に所属するデザイナーの面々が参加した。
- 注2
- シャレット
まちづくりや都市計画の中でよくある手法で、異なる専門家たちが集まって短期間で一気にアイデアを出し合って、イメージを共有して、何かしら形にするもの。
引間|そうですね。私たちは「きれいの輪郭」をテーマに、ワークショップを重ねながら「きれいの輪郭」のグランドデザインを描いていこうとしていたわけですが、ダイキンさんの「DAIKIN LAUNCH X」もまた、空調に求められる役割が広がりを見せているなかで、ユーザーと一緒に未来の生活像を描いていく。根底にある想いは近いものがあるように感じました。
― ダイキンさんのレクチャーを受けた後は、藝大・花王のプロジェクトメンバーによる課題発表へと続きました。前回のワークショップを踏まえ、課題に対する深掘りを進めた発表となりました。
今井|花王は2チームに分かれて課題に取り組んでいたのですが、私と穂積のグループでは、課題2の『「物」がもたらす「設え」と「所作」を探ろう。』について引き続きリサーチをしていました。リサーチするなかで、そもそもきれいとはなんだろう? という根本的な問いにぶつかり、それを「きれいの境界線」に置き換えて考えていったんです。「境界線」という言葉が浮かんできたのは、ボートツアーで見た神田川がきっかけとなりました。
写真を見ていただく通り、左岸と右岸では川の表情が違います。左岸の方は古くからの石積みによって隙間が生まれ、いろんな生き物たちが生息しています。一方の右岸はしっかりとしたコンクリート護岸が形成されていて、より人工的かつ整えられています。このようにボートツアーで見た景色から体感したことは、人間と、人間以外の生き物や植物にとっての「きれい」にはギャップがあるのではないか? ということでした。また、こうしたギャップは生活のなかでも感じることができます。例えば、環境負荷をかけないようにとオーガニックやナチュラル志向のプロダクトが世の中にはたくさんありますが、天然のローズオイルは、1ccのオイルを抽出するために何千というバラが必要になりますし、エコだと言われているパルプモールドは、溶解時や成形時に使う水がかなりの量になります。「環境に配慮したきれい」を実現するために、その裏側で自然に負荷をかけてしまうこと。そこにモヤモヤがあるわけです。
穂積|いつしか「きれい」という言葉に囚われていったところもありました。そんなときに岡本太郎の言葉に出会ったんですね。
“美しいというのはもっと無条件で、絶対的なものである。
美の絶対感に対して、「きれい」はあくまで相対的な価値である。つまり型にはまり、時代の基準に合っていなければならない。
「あら、きれいねえ」と言われるような絵はその時代の承認済みの型、つまり流行に当てはまって、抵抗がない。
皺クチャのお婆さんだって美しくありうる。その人の精神力、生活への姿勢が、造作などの悪条件も克服し、逆にそれを美に高める。”
それまで「きれい」とは清潔であることや整っている状態のことを指して考えていたんですが、岡本太郎のこの言葉をきっかけに自然や芸術もまた「きれい」に含まれるのではと、視野が広がっていきました。と同時に「きれい」の対極にある「not きれい」もリサーチしていく必要性を感じていた頃、今井からアップサイクル・フレグランスの話が挙がったんですね。
今井|アップサイクル・フレグランスとは、香水のもととなる香料を製造する際に出る副産物や廃棄物を加工・再抽出して、化粧品原料にアップデートし、その原料から作る香水のことを言います。もともと香料には植物や果実、また動物由来のものも多いので、アップサイクルすることでフードロスにもつながるんです。
穂積|本来であれば捨てられるはずの廃棄物に、新たな付加価値を持たせることで、別の新しい製品に生まれ変わらせる。アップサイクルのような取り組みは、言い換えると人間と自然環境、それぞれにとってのきれいの境界線を往復しながら共存することにもつながるかもしれない。少なからずそのような取り組みを通じて限りなく「モヤモヤしない」方向にいけるのではないか。「モヤモヤなし」のきれいを作っていくための視点を、このように考えていきました。
- 注3
- 「DAIKIN LAUNCH X」
ユーザーと直接つながることで、新しい空気の価値を創造する「空気」のイノベーションプラットフォーム。『DAIKIN LAUNCH X』内には、主に開発中のプロダクトを公開して意見を募る“READY PRODUCTS”と、商品化されたプロダクトを実際に購入できる“ONLINE SHOP”のコンテンツが展開されている。
水平思考と垂直思考
― 花王の発表に続き、藝大の発表へと移りました。前回はそれぞれ個別の発表でしたが、今回はひとつのテーマに対してメンバー全員で取り組んでいましたね。
藤井|石けんの原料であるココヤシの循環から見えてきた「きれいの輪郭」について発表しました。ココヤシは海を越えてやってきて、工場で石けんに加工されトラックで運ばれ店舗に陳列されて私たちの家にやってきます。そして石けんを使う時には蛇口から出てくる水を使いますが、それは、降ってきた雨が川になって浄水場を通って蛇口から出てきているものです。そして使い終わった水と石けんは排水溝を通して川から海へと流れていく。そしてまた海水は蒸発して雲となり、雨を降らしココヤシを育てます。その循環には二つの輪郭の拡がりがあると気づいたんです。一つ目は人が作り出した文明や街の中での水平的な循環から生まれる輪郭。二つ目は地面の上、そして太陽の下の垂直的な循環から生まれる輪郭。
言い換えるとそれは水平思考と垂直思考とも言えて、この二つの思考を横断させていくことが「きれいの輪郭」を考える上で重要な視点になると考えました。この水平・垂直の思考は、ゼミの中で中山先生と話している時に出てきた言葉です。
― その中山先生ですが、発表時に水平・垂直の思考について、このように補足されていました。
建築において例えば住宅を設計するときに置き換えると、水平の思考は、例えば良い見栄えのした住宅の外観のことであったり、隣近所との距離の空け方だったり、自分の生活に合わせた機能やデザインのことを指します。一方の垂直の思考は、大昔であればまず陽の光や雨風から身を守ることが挙げられるでしょう。また自然に対する畏敬の念を持ちながら、どのようにそのなかで自分の身を置くのかという宗教的な観念も、この垂直の思考に含まれます。近代以降は水平の思考が発展したことで、垂直の思考がかき消されがちですが、「きれいの輪郭」では、この垂直の思考がとても大切だと思うのです。
成定|水平・垂直というと、ボートツアーは、どちらの思考も深まる体験だったという話がこのとき挙がったと思います。自分が利用した水が家の排水溝に流れて、川や海にまでつながっていることを深く実感できたので。まさにそれは世界を垂直思考で目にすることだなと思います。
“均質”と“不均質”
シャレットのテーマ
「もしもヤシの実がそのまま街にやってきたら」
コーヒー豆と同じように、もしヤシの実が街にそのままやってきて、ショップや自宅で洗剤として加工される文化が存在するとしたら、どのような世界になるでしょう? プロダクトデザインやショップの内装、住宅や都市のあり方まで紙一枚のなかに表現してみましょう。
― それぞれの発表の後は、グループを四つに分けてシャレットの時間へと入りました。テーマに基づき、各グループはそれぞれアイデアを出し合いながら、1枚の紙のなかに書き込んでいきました。
川北|藝大のみなさんと直にセッションできたのが、このシャレットが初めてだったんです。コロナ禍ということもあり、それまでは各自が課題に取り組む感じで進んでいたので、もう少し藝大のみなさんとコミュニケーションを取りたいと思っていた矢先に、ちょうどいいタイミングでセッションができたなあと。
成定|約30分間、小さなグループになってアイデアを出さなくてはいけないという、切羽詰まったコミュニケーションが結果的によかったなと思いました。漠然と思っていたことをぽろっと口に出すことでアイデアが発展したり、みんなそれぞれこんなふうに考えていたんだ、というのが随所に感じられたのが、このシャレットだったと思います。
今井|街の領域まで拡大してきれいの輪郭を考えたのは、このシャレットが初めてでした。
― 各グループの発表の内容についても触れていきましょうか。
川北|このとき私と今井、森野さんは同じグループだったんですが、私たちは「地下浸透型」をテーマに発表しました。
私の友人が山梨に家を買ったんですが、家の排水のための下水道がなくて、地下に浸み込ませる「地下浸透型」という水の処理方法だったというんです。とはいえ、井戸や小川といった地下水を利用する施設が家の周りにあることを考えると、いきなり地下に排水を浸み込ませるのはよくないので、浄化槽を設置し、バクテリアや微生物などで汚水を分解してから流すようにすると。このことで友人は自分が普段使って流してきた水の質を初めて考えるようになったという話題から、アイデアが発展していきました。
今井|「地下浸透型」の場合、できる限りきれいな水を地下に流さないと地盤も緩むし、周りの環境にも悪影響を及ぼしてしまいます。そういう前提のもとで「ヤシの実が街にやってきた」としたら、まず合成洗剤は使いたくない。ヤシの実由来の自然の洗浄成分でできた石けんで身の回りを洗いたいし、石けんの成分の一部となる野菜の産地は自分で選ぶことができたらいいね、と。さらにアロマショップで自分の好きな香りを調達して、香り付き石けんも作ることができたら、なお楽しいです。こうして極力自然に負荷をかけない排水にすることで、川や海もきれいになって、結果としてそのきれいな水路を通ってヤシの実が運搬されてくることにつながるんじゃないかと考えたんです。
川北|排水を通じて地下で街全体が繋がることで、共同意識が生まれる。きれいになった地下水が、街の価値になる。きれいな井戸水を使って野菜やハーブを育てることでおいしい循環も生まれる。といった話も挙がりました。
― 穂積さんのグループはいかがでしょう?
穂積|私のグループでは岩崎さんと、あとこの日、前回のワークショップのレクチャーをしてくださったLIXILさんが見学に来てくださったので、3名で「イドバタシティ」を提案しました。
「イドバタシティ」は、そもそも洗濯機って一家に一台なくても良いのでは? という問いから、じゃあ洗濯機を部屋から無くした家を考えてみようと生まれたアイデアでした。その上で、ヤシの実が運ばれてくる波止場は洗濯ができる広場にもなっているといいね、と。洗濯物が出る度に街の人たちは広場に出向き、近所の人や知り合いと井戸端会議をしながら、洗濯物を手洗いします。手洗いでは汚れが落ちないものは、クリーニング専門の施設に持っていくこともできます。その施設では、汚れの程度や洗濯物の種類別の洗い方を相談することが可能に。そして運ばれてきたヤシの実を原料にした石けんがここで作られています。
― 「イドバタシティ」というタイトルには広がりがありますね。
穂積|弊社だけでこの課題に取り組んだら、こういう広がりにはならなかったと思います。石けんを家や街にまでスケールを広げて描けたのは、藝大の皆さんとの共同作業だったから。シャレット中も、自宅を出たら川に洗濯物を流して、自分が洗濯場に着く頃には洗濯物も流れ着いていたらいいですね、とか、楽しみながら考えることができました。自分だけでは絶対に考えつかなかったところに発展できて良かったです。
― 成定さん・中山さんのグループはいかがでしょう?
中山|私たちは「私のヤシの木」というテーマのもと、石けんのお店を軸に考えました。それも複数の農園で収穫したヤシの実から、自分の好きなヤシの実を選んで、石けんを作ることができるお店です。もちろん香りのブレンドも可能です。その根底にはヤシの実という石けんの原材料がそのまま届くことで、それを利用する人の自由度が上がり、そこから生まれるコミュニティがあるのではないか? という思いがありました。
成定|コミュニティとは、例えばお店で石けん作りのワークショップが行われたり、農園の人と直接繋がれるライブ中継イベントがあったり。定期的に現地の農園に行くツアーを組むこともできます。また果物の木のオーナー制度というものが実際に存在しますが、ヤシの木のオーナー制度があってもいいのでは? と。石けんは、街のお肉屋さんの様に量り売りされているイメージで、そこで購入した石けんの包み紙は、農園や香りの情報が書いてあるなど、石けんとお客をつなぐ情報通信にもなっていたらいいなと考えました。
― 最後に、藤井さんのグループはどうでしたか?
藤井|僕たちのグループでは「季節石けん」というテーマで発表しました。使っていくうちに減っていく石けんと、月が進むごとに減っていくカレンダーがなんとなく似ているように思ったことが始まりです。それから、想像力をチームで膨らませて、ヤシの実がそのまま街にやって来るとするなら、工業的に加工された状態で届くよりも、より季節に密着していくのではないか? という話になりました。例えば季節によって石けんの熟成期間は変わると思うんです。そこで石けんを通じた歳時記が作れるかもしれないね、という話になりました。お風呂で使う水の量は、季節によって変わります。冬は湯船にじっくり浸かりたいし、夏はシャワーで十分だなとか。季節ごとに変わる水の量に合わせて、使う石けんの量も質も変わると思うので、季節や時間の経過をより豊かに感じられるそんな石けん文化を想像しました。
川北|「季節石けん」の発表を受けて、中山先生からは「不均質なプロダクト」という言葉が出てきましたね。季節によって産地によって変化するその石けんは、「均質ではない不均質な味わいがある」と。
― そうですね。そしてこの「不均質なプロダクト」という概念は、「きれいの輪郭」を描く上で重要なキーワードのひとつになっていきましたが、当日、中山先生は均質と不均質について、このように補足されていました。
近代以降の生活における品質は“均質”であることで支えられていて、確かにその均質さは重要な指標です。でもその一方で“不均質さ”には、自分の好きな香りを選べる、季節によって変化することを味わうなど、均質や効率を求めていては得られない情緒がたくさん含まれていて、そうした情緒が都市や工業、科学技術といったものとうまく連動することが、これからの「きれいの輪郭」においてとても重要なテーマになってくるのではないでしょうか。
川北|同じ品質、同じ価格を維持したプロダクトを発信することで、快適な暮らしに貢献してきた花王にとって、不均質なプロダクトという考え方は、はっとさせられました。均質なゆえにこぼれ落ちてしまった情緒や文化が確かにあるわけですから。
不完全な隙間に生まれる豊かな情緒
― 文化人類学者の竹村眞一さんをゲストに迎えた講義を経て、8月に行われた4回目のワークショップは「きれいの情緒的価値」をテーマに、ヘアメイクアーティストの石川奈緒記(注4)さんと花王ミュージアム(注5)の館長の引地聰さんにお話を伺いました。人の情緒を軸に、これまでの方向性とは違った角度から美や感性について考えるワークショップになりました。
成定|石川さんからはお仕事の具体的なエピソードをたくさん伺えて楽しかったんです。ヘアメイクは衣装を始め、周囲の環境、共演者の方など、複合的な要素によってそのバランスが変わるとお聞きしたことが印象的でした。また私たちが香りに着目していたなかで、石川さんもヘアメイク中はリラックス効果を促すために香りを使うという話があって、興味深く伺っていました。
― 石川さんは精油の勉強もされていましたが、一方の引地さんもまた、長らく花王で香料開発の研究に従事されていたことから、香料の話題が続きました。
穂積|石川さんが引地さんへ「花王のような大きな企業が天然香料を使ったプロダクトを作ることはないのでしょうか?」と、質問をされていたんですが、その質問に対する引地さんの企業目線での回答に私自身、はっとしました。「世界市場で見ても天然香料の供給量には限りがあります。そのなかで花王が製造するプロダクトのスケールで天然香料を大量に使用すると、市場のバランスが崩れてしまうんです」と。大きな企業が極端なことをすると、需要と供給のバランスに大きな影響が出てしまうわけです。人と自然環境にとってより良い道を選ぶにも複雑な事情がある。その難しさを感じました。
川北|私が一番印象的だったのは、石川さんの“あえて不完全なものを作ることがある”という話でした。ヘアメイクにとって人を美しくしていく過程において、不完全なものを足していくという感覚がとても不思議でしたが、よくよく考えてみると、その完璧ではない“隙間”にこそ、情緒が生まれるんだろうなと思ったんです。それは前回のワークショップで出てきたキーワード「不均質なプロダクト」にも繋がる感覚でした。
中山|完璧なものが目の前にあるとそこには余地がないというか、自分がそこに入る隙間がない感じがするんですよね。むしろ少し歪みがあったり、足りないものを感じたときに、自分がそこに参加できるし、または一手間加えて完成するといった所作が発生することで、人は充足感を感じるようなところが確かにあるように感じます。
今井|これは石川さんと引地さんの会話のなかで出てきた話だと思うのですが、人間は見たことも触れたこともないものに、ちょっと恐怖を感じるものじゃないですか。つまり人が新しさや美しさを感じるときというのも、まったく見たこともないものを突きつけられるよりも、どこか温故知新というか、人間のDNAのどこかに残っているものをリバイズして再構築していくことが、新しさや美しさにも繋がっていくと。私自身はその会話にはっとしました。
藤井|僕は引地さんによる日本人の清浄観の話が興味深かったです。きれいとは見た目の問題だけではなく、むしろ精神的な部分も多く含まれていたと伺って、まさに「きれいの輪郭」を考える上でとても大事な話だなと思いながら聞いていました。
― 日本人の清浄観を知ることは、石けんへの意味づけにもなる。という想いが引地さんにはあったようですが、当日はこのような話をされていました。
中国の古い歴史書『三国志』のなかの「魏志倭人伝」に書かれている倭人(中国で用いられた日本人の古称)の特徴に、「倭人は、人が死んでお葬式を挙げた後、参列した人は必ず川で沐浴する」というのがあります。つまり倭人は死に対して穢れを感じていて、それを濯ぐことで取り除こうとしていたわけです。その穢れは目には見えないものですが、見えないけれど、自分が侵されているような感じがしていたのでしょう。日本は水が大変豊富な島国だったこともあり、濯ぐことで見えない穢れを祓ってきました。今でも神社など、神聖な場所に入る時は手を洗いますが、きれいにするというのは、見た目のこと以上に精神的な部分が大きかったと考えられるわけです。
石けん自体は戦国時代にヨーロッパから運ばれてきますが、石けんにもそうした精神的な意味合いを乗せて、使われてきたと考えられています。
きれいの輪郭は、私の輪郭でもある
― 石川さんと引地さんとの時間を経て、第二部では引き続き取り組んできた課題「きれいの輪郭」に対する発表の時間になりました。発表は主に藝大側から。前回のシャレットを踏まえて石けんのある生活像を住宅や都市の在り方にまで拡張させたスケッチが印象的でした。
成定|竹村さんの講義のなかで「individualではなく、dividualな私」というキーワードが出てきましたが、このキーワードから、私とは「私」だけで成り立つ個人ではなく、無数の他者と共生・協働した一つの生態系であるという視点を持つことができました。「きれいの輪郭」とは「私たち自身の輪郭」でもある。そう言えると思ったんです。となると、自分をきれいにしてくれる洗浄料がどこからやってきて、どこに流れていくのか。全体像が見えない状態だと、自分の身体も本当の意味できれいになりきれません。そこで私たちは改めて石けんが家にやってきて、使って、排水溝を通って分解されるまでを想像した新しい生活像を描いてみたんです。
そもそも石けんには液体洗剤とは違った良さがあります。まず製造工程がシンプルなので、削ったり、溶かしたり、レンジで温めたり。誰もがアレンジしながら好みの石けんを作ることができます。それはまるで料理をしているときのような楽しさがあります。
藤井|その石けんをより楽しく使うために、お風呂場や洗濯機、洗面所や台所といった使用場所に合わせてどう使うかスケッチしたものを発表しました。
例えば洗面所。一日の始めに今日の気分で調合する石けんがあったらどうでしょう。作ったばかりの石けんで顔や手を洗い、使った石けん水でトイレを流すと、いい香りが充満します。というように各場所での石けんの使い方を描いて発表していったのですが、最終的には建坪9坪、3階建ての住宅全体でその導線を表してみました。
石けんには水が必要不可欠ですが、まず屋根に降った雨水を利用することで、住宅単位での水の使用量を抑えたいと考えました。例えば、屋根の上の太陽熱温水器で温めた雨水を雨水タンクに貯めて使えば、電気やガスといったエネルギーの消費を抑制できます。また家の右側にできるだけの水回りを配置することで、お風呂で使った温かい雨水は洗濯に再利用。さらに洗濯に使ったその水をトイレ用の水に再再利用できるような住宅を考えました。
成定|このように新しい石けんの使い方、新しい住宅の在り方を考えた時に、楽しみをより拡張させながら手助けにもなるのが街の石けんショップの存在だと考えました。また前回のシャレットで出てきた「イドバタシティ」にあるような、石けんや洗剤の文化が身近に感じられるラボも欲しいと。環境負荷が少なくて済むコンテナハウスを活用したショップとラボは、住宅と同じように雨水を再利用する構造にすることで、必要最低限のエネルギーのなかで運用することができます。
コンテナ型は移設が可能なので、浄化機をつけて海に浮かせることも可能です。そうやってショップとラボは様々な街を渡り歩きながらその地域ごとの特色を汲んだ新しい文化発信拠点にすることができると考えたんです。そうしたラボには、コーヒー豆をお客さんの好みにブレンドしてくれるコーヒーマイスターのような、石けんマイスターという人物像も浮かび上がってきました。
― 住宅からショップ、ラボに至るまで。藝大側の発表はどれも現実の世界で実装するイメージが湧く発表になりましたが、同時に足りない部分も明確になりました。それは石けんを一度物質化してみることです。
引間|「きれいの輪郭」のグランドデザインを描くこと。それがこの一連のワークショップを通じたひとつの目標でしたが、藝大の皆さんの発表を聞きながら少しずつその概念の整理ができたところで、石けんの物質化は大きな問いかけになりました。中山先生は一度、料理教室のような場が持てたらいいですね、とおっしゃっていましたが、その問いが新たなディスカッションを生むことにつながり、結果的に藝大と花王の連携が深まったように思います。
「きれいの輪郭」4/4 へ
2023.3.31 update