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『遅い水』のランドスケープ

文・イラスト=中山英之

reframing
project

 ある小規模な勉強会で、このワークショップ(reframing)でもゲスト講師を務めてくださった文化人類学者の竹村眞一さんから、『遅い水』という言葉を聞きました。日本は豊かな水資源の国と言われています。けれども、平地の少ない急峻な地形にあって、降った雨はあっというまに海に至ってしまうため、川の流れは速く激しくて、必ずしも豊かな水辺環境に恵まれた国土のかたちであったとは言えなかったのだそうです。この水の速度を落とし、生物や植物にとって住みよい、いわば遅い水を作り出す働きを担っていたのが、最盛期には全国で800億tもの保水能力を持っていたと言われる、水田でした。平野の水田から山間部の棚田まで。琵琶湖の実に3倍もの水量を誇る人工的な環境装置が日本全土に分散配置されることで、この国の風土は、弱く小さな生命を含む多種多様な生態系を宿す、遅い水のランドスケープに改質されてきた、というのです。
 

大規模定住社会と『速い水』

 

 ランドスケープ・アーキテクトのイアン・マクハーグ(注1) はかつて、“風景の輪郭とは、分水嶺から分水嶺までである”と定義しました。空から落ちてきた雨粒たちの一群が、偶然着地した尾根の稜線でその運命を分断されて、それぞれが全く違う谷へと流れ落ちて海に至る。この『分水嶺』に囲まれた範囲で起こる水の多様なふるまいのことを、マクハーグはランドスケープと呼び、その輪郭を定義したのです。
 現代の都市を見てみるとどうでしょうか。たとえば東京の生活水は、東京都に降る雨の総量を超えるほどの水を、この分水嶺の外から人工的に運び込むことで賄われています。都心を流れる川の水の過半は、『風景の輪郭』の外から、私たちの住環境を経由して流れ出した水であることを、ほとんどの都市生活者は意識することもありません。ゲリラ豪雨の翌日、そうした川を眺めると、少なからぬ衝撃を受けるでしょう。通常は整備の進んだ浄水所から河川に放流される生活排水ですが、ゲリラ豪雨のスピードに処理能力が追い付かず、住環境の排水口への逆流を防ぐため、未処理の下水がやむを得ず河川に放流される事態が、頻発しているのです。このワークショップで行なわれたボートツアーの日がちょうどそうでした。
 

注1
イアン・マクハーグ
アメリカの造園学者でありランドスケープ・アーキテクト。著書に20世紀のランドスケープ・アーキテクチュア史上最も重要な書籍とされる『デザイン・ウィズ・ネイチャー』(集文社、1995年)がある。

『遅い水』をつくる

 

 

 こうした事態を回避するために有効な手立てが、ひとつあります。それは都心のすべての建築物が、床面積に応じた容量の『中水タンク』を持つことです。『中水』とは文字通り、『上水』と『下水』のあいだの水のこと。建築の世界では溜めた雨水のことをそう呼びます。雨どいの先にタンクを取り付けて雨水を蓄え、その水を日常生活の中で時間をかけて利用する。この遅延プロセスを都市の水サイクルの中に組み込むことで、雨水の放流と分水嶺の外からの水の供給の両面から、都心の『速い水』に働きかけることができます。小さな分散型タンクの存在は、豪雨直後のピークカットに寄与することで下水の河川放流を防ぎ、都市河川に多様な生物を育む、遅い水のランドスケープをもたらす可能性に繋がっているのです。
 水田は、豊富な水を単に節約するのではなく、自分たちのために上手に使う場です。そしてそのかたちは、私たちに遅い水のランドスケープをもたらしました。そうであるなら、都市生活を営む現代の私たちが日常的に使う水から、遅い水の風景がもたらされるための『水回り』とは、どんなかたちをしているのでしょうか。
 

家のそと、雨のうち

 


 

 かつて厠は家の外にありました。お風呂場もまた、屋根の下にあっても、より外に近い土間に置かれていた。建築設備の進化によって、そうした水回りは今日、他の部屋と同じように、家の中に組み込むことができるようになりました。雨水のふるまいとしてのランドスケープから、文字通り距離を置いた存在としての水回り。それが今日の都市における、水のふるまいのかたちです。このかたちに、中水タンクを組み込んだ場を新しく想像するとき、もういちど家の外に一歩近づいた水回りの姿がイメージされます。雨どいに接続されたタンクから、重力で水を落とすことのできるシンプルなユニットが、家のそと、雨のうちである軒下に組み込まれた住空間です。今回私たちが提案した住宅は、このような視点から設計されました。高性能な中空糸膜によるフィルターや、微生物による浄水処理技術などを駆使することで、もしかしたら私たちの口に入る水ですら、中水からの処理水で賄うことができてしまうかもしれません。また、そこから生じる排水を、有機的な資源として循環プロセスに組み込むことができたなら、私たちの生活そのものが、生産的な行為でもあるような都市のイメージも膨らんできます。
 

 雨の日は憂鬱なものですが、雨が降ることと生活の喜びが直接結びつくような家はきっと楽しい。もしかしたら、家という閉じた世界の周りに広がる環境全体に、その輪郭が広がっていくような感じがするかもしれません。家だけでなく、もっと大きな集合住宅やオフィスビルにも、 同じような考え方を展開していくことで、建築の水回りが、都市に遅い水のランドスケープを作り出すきっかけをもたらす存在になる。都市全体がひとつの水系を形づくっていく。小さな石けんについて考えることになったこのワークショップの背景には、そんな想像が広がっています。

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