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不均質なプロダクト

文=穂積芽里 写真=高野ユリカ

reframing
project

 季節や場所に関わらず一定の品質が求められ、担保されているもの、それをプロダクト(注1)と私たちは呼んでいます。例えばシャンプーはとろりとした質感、さっぱりとした洗いあがりといった品質が常に保たれています。何千、何万と生産されるプロダクト(例えばトイレタリー製品)を使うことで私たちは体を清潔にし、健康を保ち、リラックスすることができるでしょう。お風呂で身体を洗い、ゆっくりとひと息ついたあなたはふと考えるかもしれません。私が落とした汚れを含んだ水はどこへ行くのだろうか。人間以外の生き物や自然は清潔で健康でリラックスできているのだろうか。視野を人間の外に広げて考えてみると、私たちが清潔で健康でリラックスした生活を享受するために、自然や他の生物はコントロールされてしまっているのかもしれません。

注1
プロダクト
一般的には工場で生産された「製品」を意味する。そのため厳しい管理のもと安定した均質さや安全性が追求される。

自然に沿って生まれた石けんとソープディッシュ(注2)

注2
自然に沿って生まれた石けんとソープディッシュ
季節の植物で作った石けん。洗顔にはマイルドな洗い心地、髪には良い香りのもの、身体にはさっぱりと汚れを落としてくれるもの。石けんを保管する佇まいにも一工夫。直線や円、点々などの形が楽しいソープディッシュ。水に濡れて柔らかくなった石けんを置くと模様が転写され、触って識別することができる。

 今回のプロジェクトでは、石けんに焦点を当てて考えてきました。石けんは、身体をきれいにする身近な存在でありながら、紙一枚で潔く包まれています。プラスチック問題が当たり前のように議論されるようになった現代において、今一度注目すべきはその潔さかもしれません。環境保全の視点からだけでなく、コーヒーやチーズのように素材や作り方にこだわり、嗜好品として愉しむことができるという視点でも可能性を秘めていると私たちは考えています。
 石けんは、濡れると溶けて受け皿にくっつきます。私はこのワークショップ(reframing)でプロダクトを作るなら、その自然な現象に寄り添って、受け止めるものにしたいと思いました。企業の中で商品について考えていると、例えば、石けんが溶けることはネガティブな要素として存在し、溶けにくくなるような受け皿を考えがちです。なるべく壊れないように、なるべく長期間使えるように。しかしそれは、自然の現象をコントロールしようとする行為なのかもしれません。
本来、自然は時間の経過とともに変化していくものです。種から芽が生え、花が咲き、実をつけ、最後は朽ちていく。自然の現象を自然のまま受け止めることができれば、人間界に留まらない流れが出来上がるでしょう。ワークショップで作成したソープディッシュは石けんを使うことで模様が転写されて刻まれます。それは、生産過程でパッケージに印刷されるグラフィックのような完璧さや明瞭さを持ちませんが、曖昧で優しく、そっと寄り添ってくれるような温かみを持っています。
 人が自然に沿って生きるような、自然をそのまま受け入れるような、そういう関係をつくりたいと私は考えています。

ボートツアーでは人と川の関係について学び、多くの気づきがあった。

 メーカー/消費者という分断はいつから生まれたのでしょうか。かつて人々は自然に沿って自分たちの生活に必要なものを生み出し、共有し合って生きていました。漬物や味噌を各家庭で仕込んだり、旬の食材を楽しんだり、川の流れに沿って町を作ったりしてきました。それがいつからか、人間の求めに応じて自然を改変し、都合よくコントロールするようになりました。川を直角に曲げたり、あるいは塞いだり、食物を一年中収穫できるようにしたり。そのおかげで生活はどんどん便利になっていき、今や消費者は生産する必要なく消費をするだけで済むようになりました。一年中均質な商品が手に入るので旬に関わらず食を楽しめ、個人では作れないような高性能の洗剤を安く簡単に買うことができます。こういった便利さの追求の先にメーカーと消費者の分断の片鱗があるのかもしれません。高性能で均質なプロダクトをいつでも手に入れられる消費者は、生産のブラックボックスを考えることなく使用し、生活していきます。お金を出せばいつでも欲しいものが手に入るので、つぎつぎと消費するだけの生活が生まれるでしょう。これは人間界に留まった生活(注3)だと言えるのではないでしょうか。

注3
人間界に留まった生活
人間の便利のために自然をコントロールし、均質な生活をつくる。それは一方通行で人間の意志だけで完結する。

これから考えていきたい人間界に留まらない暮らし(注4)

注4
人間界に留まらない暮らし
自然の現象に人間が合わせていくこと。自然の不均質さを受け入れていくこと。それは人間の意志だけでは成り立たず他の生物や自然を尊重する必要がある。

 その時その場所で採れる材料で、必要な分だけつくること。四季を感じ、場所を感じ、自然を感じること。そんなことに重きを置いたプロダクト(注5)は、時に不便です。常に一定ではなく自分の意志ではコントロールできない場合もあるかもしれません。しかしそれが自然に沿って生活すること、人間界に留まらないことにつながります。これは大昔の生活に戻ることとは違います。現代のテクノロジーは私たちの生活を便利にし、健康と長寿をもたらしました。その中でそぎ落とされていった自然に沿って生きるという視点を、これからを生きる私たちは再び取り入れていく必要があるのではないでしょうか。
 人はもともと消費するだけの存在ではなく、生活する存在、ともに生きる存在、ときに作り出す存在です。現代の技術から恩恵をあずかりながら、自然に沿って生活をする。ともに生き、生み出しながら。そこに存在するプロダクトは、『不均質なプロダクト』と呼べるかもしれません。

注5
(不均質な)プロダクト
工場での生産からは離れた「もの」そのものを指す言葉。
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