東京の水辺で時間旅行
中林裕貴 × 東京藝術大学 中山英之研究室 × 花王株式会社
私たちの生活とは、地球上のどんな循環のなかに位置付けられているのだろう。自分たちの身体よりも大きな輪郭のなかで、「きれい」の概念を捉え直してみたい。2021年6月、reframingのプロジェクトメンバーたちは、日本橋川を起点に神田川、隅田川を船で巡る「都心の水辺でエコツアー」に参加した。水辺という環境。陸地にはないスケールを通じて辿った、東京という都市の営み、その輪郭。2時間の船旅は、後に続くワークショップにも大きな影響を与えることになる。
エコツアーは、プロジェクトのハイライトのひとつである。船上で過ごした時間を改めて振り返りたいと、ツアーの主催者であり、船頭の中林裕貴さんを囲み、対話を重ねた。
水辺が変われば、都市も変わる
中山英之(以下中山)|昨年藝大は、デザイン科が花王さんとの協働プロジェクトに取り組みましたが、今回は建築科にお声がかかって、私の研究室で取り組むことになったんです。その際、花王さんから「プラスチックのごみ問題が企業としては看過できない局面に来ているので、リサイクルという観点も踏まえてそれを協働プログラムのテーマに入れることはできないですか?」と提案いただいて。そのときに、私は大きな視野でこの問題に取り組みたいと思い、行き着いたのが「きれい」という概念を、私たちの身体よりも大きな輪郭のなかで捉え直してみようという考えでした。実はこの話を花王さんとしていた初期の段階から、私は中林さんの船に乗りたいと思っていたんです。
中林裕貴(以下中林)|そうだったんですね。
- 注1
- NPO法人あそんで学ぶ環境と科学倶楽部
環境について正しい知識を身につけ、環境保全活動に結びつけるための橋渡し役となる。押付けの知識ではなく自らの意識で環境保全に対する意識を芽生えさせる。誰でも理解できる形で解説し、一人でも多くの人に取り組んでもらうための環境作りとして、「都心の水辺でエコツアー」体験や、「水辺の清掃活動」、「環境講座」や企業向け又は学生向けの社会貢献活動や環境保全活動のお手伝いなどを行っている。
中山|私たちは水道の蛇口をひねると、きれいな水が出てくる生活を送っています。その水は、そのまま飲むことも、汚れた食器や手をきれいにすることもできるので、その瞬間は気持ちがすっきりします。一方で、お風呂場で排水溝に流れていくお湯を見ていると、自分の身体をきれいにしてくれたこのお湯はどこに行き着くのだろう?と、なんだか心のどこかがすっきりしない。つまり、自分や自分の空間がきれいになることと引き換えに、もしも何かがきれいにならないのだとしたら。プラスチックのごみを捨てたら、家の中はきれいにはなるけれど、その捨てたごみの行方は? どこまでその輪郭を広げたら、本当の意味できれいになるのだろう。そういう違和感を感じている人は、私も含めてきっと多いはず。reframingとは、こうした地球規模の想像力を持って取り組んでいくような協働プロジェクトにしていこうと花王さんとお話をしていたので、中林さんを通じた川からの視点で自分が環境とどう関わっているのかを知ることは、とても大切だと思ったんです。
中林|なるほど、そのような趣旨であれば、船に乗って、東京の水辺を体感するというのは、捉え直すためのいいきっかけになりそうですね。
中山|はい、私が初めて中林さんの船に乗ったのは、確か東日本大震災が起こる前だったと思います。まず感じたのは、船の下の水の大半が、自分達が住む建築のなかを一回通ってきた水なんだという事実。電車や橋から川を眺めていても、まったくその実感は持てなかったので、驚きました。
中林|東京の川は、かつて輸送のための船を通す水路でした。それが戦後、自動車の普及によって使われなくなり、日本橋川の上空9割は高速道路になりました。人口も増加し、川に排水を流すようになり、だんだん臭い、汚い場所に変わっていったのが、今から50年ほど前のことです。そこで昭和40年代前半に法律を作り、すべての排水は一度、下水処理場できれいにしてから川や海に戻す取り組みをして、ようやくほとんど臭わなくなりました。つまり、便利さを優先して環境をどんどん汚して、まずいと思ってから考える。それを見直すことのできるいい資材が残っているのが、この川なんですよ。
中山|おっしゃる通りで、今回、プロジェクトメンバーと船に乗って、そこで感じたことがその後のワークショップに生かされていきました。感想を伝えることもできなかったので、この場でようやくお伝えできます。
中野詩織(以下中野)|本当にいろんな刺激を受けました。私自身、まず感じたことは、東京の川が予想していたよりもきれいだった、ということです。というのも、子供の頃は川崎の鶴見川沿いに住んでいたんですが、親に「当時の都会の川というものは、臭くて汚くて、汚水に苦しくなった魚が浮いているんだよ」と聞かされていたので、大人になった今でもそのイメージを引きずっていたんです。でも、実際に船から川に触れてみて、確実に水質は変わってきているんだな、と。同時に、陸では隠されているものが川辺に集まっていることも知りました。水道橋下の三崎橋ごみ中継所では、私たちが朝出したごみの行方を見ることができたり、日本橋川の上流部には、今も江戸城の石積みが所々に残っていたり。それらは川を下っていくことで初めて見ることのできる景色でした。乗りながら、これは一回乗っただけでは身につかないのだろうということも感じました。
中山|中林さんの船は、乗る度にいろんな気づきがあります。その日の潮の満ち引きの加減によって船のコースや向きもが変わったりもするのですよね。
中林|そうですね。この辺りはもともと海だったので潮の満ち引きで一日二回、水位が変わるんですよ。
引間理恵(以下引間)|船着場であった日本橋近くに弊社(花王)の本社があるんです。身近に感じていた日本橋川のそばで船の乗り降りをすることで見えてくる風景だけでも、普段目にしていた風景とはまったく別のものだったのですが、実際に船を降りたときは「すごかったよね……」と、一緒に乗った弊社メンバーと放心状態になりました。東京の下水管は豪雨などでキャパシティを越えると、雨水と一緒に河川へ汚水が放出されるという仕組みになっていることも、このとき初めて知ったんです。
中林|一度にものすごい量の雨が降るとき、各家庭の排水と側溝に流れ込んだ雨水が同じ下水管に入る仕組みのため、キャパを超えると逆流して家の排水溝から噴き出してしまう。そうならないよう、一定量を超えたらそのまま川に流しているのが現状なんです。
引間|この豪雨などの異常気象は、温室効果ガス排出量の増加に伴う地球温暖化が原因のひとつと考えられていますよね。私たち人間の日々の営みの結果がこの異常気象につながっていて、それが排水の問題にもなっていると。中林さんの案内によって、川を通じて地球を考える時間を過ごすことになりました。
成定由香沙(以下成定)|乗り場に着いた時にはすでに水面にごみのようなものが浮いていましたが、隅田川に入った途端一気に水の流れも水質も変化したのが印象的でした。前半はそのせいもあって、水面や塀へ意識的に目を向けていましたが、神田川に入った辺りから周辺の建物と川の関係についてのお話を聞いて、都市の中の川の存在をより認識できたように感じます。そして、「水辺が変われば都市も変わる」という、中林さんのお話が印象的でした。
中林|船に乗っていると、その変化がすごくよく見えるんです。例えば戦後の川は臭かったから、川沿いに住む人たちは川側には窓を作らず、壁のような建物がほとんどでした。でも近年は窓やテラスができて、川沿いで食事をする人たちが出てきました。水質が変わると、都市も変わるんです。
杉山東子(以下杉山)|私自身、歴史の痕跡が現代の便利のために無造作に損なわれていることや、生活排水の緊急放出の繰り返し、ごみの埋め立ての実態などの問題に、このままではいけないと意識が変わる思いがしました。同時に日本橋川から隅田川へと船で下っていくと、景色がひらけますよね。風や日の光を肌で感じること、水や空気の匂いを嗅いだりする五感を通じた体験が気持ちよくて、その景色が今も忘れられません。「東京の川が好きだな」と、自分なりの愛着を持っていくこと。その大切さを感じました。
中林|それは嬉しいですね。臭くて汚かった50年前の川に戻らないように、これ以上ひどくならないように、それぞれの立場から努力するためにも、まずは感覚として、川を通じて東京の街に愛着を持って欲しい。そういう気持ちで船のツアーを行ってきましたから。
小島晴予(以下小島)|私自身は残念ながら中林さんのツアーには参加できなかったんですが、先日、「水辺の清掃活動」に参加させていただきました。
中林|そうですか。「水辺の清掃活動」は近寄れない護岸にボートで上陸して、ごみの回収を行う取り組みです。東京港周辺の水辺は、防潮堤防が整備されていて、これら堤防の外側には水生生物が生息できる環境になっていますが、同時にそこは浮遊しているごみの漂着場所にもなってしまっているので、私どものNPOでは水辺の清掃活動も行っているんです。
小島|その漂流しているごみの問題に直面したことはもちろん、川が物語るこの街の歴史も、印象深かったです。江戸時代の頃は、運河が網目のように張り巡らされた水の都で、移動手段も物流も、船で運ぶということが主流だったんだなと。隅田川のボートツアーもいつか乗ってみたいと思っています。
通い慣れた道のひとつに、水路がある
中林|船を通じてみなさんが感じられたように、私はもっと多くの人に東京の川辺を身近に感じたり、川辺を通じて自分を取り巻く自然環境のことを考えられるような時間を過ごして欲しい。そのためにもこれからの川辺の街づくりは、陸の側ではなく、水の側に立つということも必要だと思うんです。これまでの開発というのは、基本的には陸側の発想で作られてきたでしょう。
成定|おっしゃること、わかります。私自身はまだ実際には建築の設計をしたことがないので、建築をどう学んできたのかの話に限定してしまいますが、学部生の頃に学んだとき、水辺はすごく豊かな場所である認識はあるものの、水辺と陸地の接続は容易ではないという前提がまずありました。
中林|感覚的には陸地にある建物から出て、開放された空間で、水と戯れる場所を作ろうというプロセスでしょう?
成定|そうです。
中林|僕のような水側の立場からみると、船を降りて陸にあがったところで、ご飯を食べたり、買い物ができたりするような、そんな船着場を考えてもらいたい。陸側と水側では捉え方が全然違うんです。
成定|中林さんがおっしゃるような水側の視点を踏まえて課題を進めていれば、また違った発想で考えられたんだろうなと思います。当時の課題は、陸側の人々を水辺に近づけて、水運を発達させようという視点でした。大人数が水辺を楽しむための大きな水回りがあり、より効率的に水上を移動するための大きな船着場を作るというように。水路の利用者としてのいち視点がそこには加わっていませんでした。
中林|水上移動が日常の人間にとっては、水路は特別なものではなく、道路と一緒なんです。この感覚をまず体感してもらえるといいなと思うんですが、その一歩として、みなさんにはもっと水辺で遊んで欲しいんです。自転車や車を買うのと同じように、水辺の移動に必要な乗り物を買って遊んで欲しい。乗り物はハードルが高くても、船に乗る、ごみ拾いする、潮干狩りするなど、いろんな手段や遊びがあるので、東京の水辺にもっと足を運んでもらうだけでも変わっていくと思うんです。その感覚を持つと、結果的に中山さんのおっしゃるようなきれいの輪郭を捉え直していくことにつながると思いますし、街づくりも変わると思います。
中山|水辺でもっと遊ぶ。
中林|例えば日本橋にある船着場。あれは中央区が観光のために作ったものですが、その結果、船着場を通じて水辺の活性化に成功したと、中央区は言っています。根拠は、船着場の年間の利用者数です。船のサイズが大きくなって乗船者数も増えたので、活性化に役立っていると。でも私の立場からみると、それは活性化したとは言えないんですよね。なぜならその船が出航した後の水辺は、閑散としているわけですから。つまりどこを切り取るかで、見えてくるものが変わってくる。
中山|見える・見えないについては、中林さんがよくしてくださる話ですね。川は、電車の中や橋の上から物理的には見えています。けれど、私たちは本当の意味では見ていないのかもしれません。東京の川は、連続した交通路であり、気候や動植物たちの変化だけでなく、都市の脈動を間近で感じ、この街の歴史を辿ることができる場所です。それが“見えていない”のだとしたら、本当にもったいないですよね。
中野|都市開発、森林地形、ごみ問題など、水質以外の状況を時間軸も交えてお話を聞くなかで、すべての問題の根底は、自分も含めて人々が「知らない」「見えないようにした(意図せずなった)」結果だと、改めて感じました。環境保全の啓発情報は大きなスケールで示されることが多いですが、自分の街や近くの川と言った身近な場所に何より豊富な情報があるとわかって、そこから「見る」ことが大切なのではないか。そう気づけたことが大きいです。
荒い石積みから、これからの建築や都市を考える
中山|reframingは中林さんの船に乗るという体験のほかに、複数のワークショップを行い、それに合わせてゲストを招いた回もありました。文化人類学者の竹村眞一さんもまたゲストのおひとりだったんですが、そこで「dividualな私」というキーワードが挙がったんです。人間の身体は決して「個」=“individual”ではなく、”dividual”(分割可能)な存在が織りなすネットワークであると、竹村さんはおっしゃって。確かに、と。例えば身体の内外には様々な細菌が住んでいて、その細菌たちがすべていなくなってしまったら、身体も死んでしまいますよね。つまり個としての身体は、細菌たちにとっての大きな環境の一部分でもある。そういう風に自分の輪郭について捉え直しながら船上での気づきを思い出すと、ひとつ好きなエピソードがあるんです。
中林|どのエピソードでしょう?
中山|お茶ノ水橋の橋下にある、渓谷の話です。その渓谷の辺りを通過するとき、「目の前に見える文京区側の整備された緑地帯と、千代田区側のボサボサの崖と、どちらの水辺がきれいでしょう?」という問いかけを中林さんはされるでしょう。
中林|はいはい。
中山|一見すると、総武線の車窓からもよく見える、整備の行き届いた文京区側と思うのですが、そちらは石積み風のコンクリート護岸なんですね。一方線路側は古くからの石積みになっていて、よく見ると隙間がたくさんある。そこにいろんな生き物たちが生息しているんです。生き物が暮らす水には、そこに飛び込む自分の姿も思い浮かびます。「dividualな私」というのは、そういう感覚を言うのでしょう。一方でコンクリート護岸側には、生命感を感じることが難しいです。車窓から見下ろしてた渓谷はとてもきれいに思えていたのに。水面に降りると感覚が反転するのだから不思議ですよね。この荒い石積みの景色は、建築や都市のつくり方を考えるときに、よく思い出すんです。
中林|それはなぜでしょう。
中山|人間の生活を美しく、清潔に保つためにこれまで建築というものは作られてきたわけですが、同時に私たちの心の感じ方もそれに伴い変えてきた部分があると思うんです。本当に美しいとはどういうことか、快適さとは何に宿るものなのか。これからの建築の作り方、都市の作り方を考える上で必要な視点が、あの荒い石積みには詰まっている。そんな風に思うところがあって。そして建築の領域で活動している私たちは、そういう仕事をやっていく必要があるんじゃないかと。
引間|「快適さ」というと、中林さんが船上で「快適(良い環境)になると人が集まる」とおっしゃっていたことを思い出します。ここでいう「快適」とは我々メーカーが追求してきた「便利さ」では決してなくて。
中林|便利な生活を追求していくと、自然との関わりが遠くなるんですよね。便利は悪いことではなくて、そのバランスがとても大事だと思います。
中山|同時に過去を振り返って後悔したり、今を反省するばかりでもよくないなとも思うんです。例えば現在、老朽化した首都高速の地下化事業が進められていますが、地下化することで日本橋に青い空が復活して「わあ、きれい!」というのも、どこか釈然としない。なぜなら高度経済成長期の、ある種のでたらめなエネルギーによって生まれた水辺の風景も、今一度私たちをこうして立ち止まらせ、豊かさとは何かをゆっくりと考えさせている記憶の一部だからです。江戸城の石積み、窓のないビル、そして家庭から出たばかりの、不燃ごみの処理運搬。中林さんの船に乗っていると、まるで時間旅行をしながら、物事を立体化して見られるようになる。自分の中の価値観が多様化していくんです。
中林|時間旅行、いいですね。川から見えてくる環境の問題は山積みですが、解決していくためのアクションは、先ほども言ったように遊びのなかで見つけていくことが大切だと思っているんです。遊びの時間というのは“こうすべき”ではなくて、“こうあったらいいな” “こうしたら楽しいな”で作られていく。長く問題と付き合うには、遊びの発想が必要です。
成定|環境問題はとても切実な問題だからこそ、建築の領域でも考えなくてはいけないことが膨大にあります。その結果、窮屈な時間になりがちだったんです。ですが、reframing自体が、地球規模の想像力を持って「こういう生活があったらいいな」を発想していく場でもあったので、中林さんのおっしゃる遊びの延長で、切実な問題と向き合えたことは、自分にとっても非常に貴重な時間となりました。
中山|誰にも依頼されていないけれど、今、大事だと思うことをじっくり考える。大学という場所にいていいなと思うのは、そういう時間の使い方ができるところです。reframingはそのような思考を花王さんと分かち合うプロジェクトだと思っていて、だから常に「こうあるべき」を振りかざすものではなく、こういう考えがあれば、ああいう考えもある、というように、社会とは複雑で、だからこそおもしろい。ということを、学生たちと一緒に学び続けていきたいなと思っています。
引間|今、中山先生がおっしゃった「誰にも依頼されていないけれど、大事だと思うこと」という言葉がとても印象的で。というのも私は基盤技術研究という立ち位置で、商品に直結した業務ではないということもあり、物事の本質に触れていくような研究を進めていて、日々迷うことがあります。そういうなかで中林さんの船に乗って、これまでなかったスケールで物事を見たときに、社会の中で生きる人の感情や行動に直結している環境やプロダクトについて問題意識を持つこと、その大切さを改めて感じました。
小島|私は以前、商品開発に携わる部門に在籍していたことがあります。商品開発は業務内容が明確なので、自分にも他者にも説明しやすい業務でした。現在は、基盤技術研究という、花王のものづくりに直結する研究業務ではないため、自分自身にさえ説明できないと感じることがあり、もやもやすることもありました。ですが、今日中林さんを囲みながら話をしているなかで、reframingというものは本当に「誰にも頼まれないけど、大事だと思うこと」を考えるワークショップであったなと改めて実感しましたし、そこで感じた気づきを会社としてのものづくりに反映させていきたい。そのために何をすべきか。改めて具体的に見つめていかなければと思いました。
杉山|reframingは、「リサイクル」について考えることから始まりました。花王では回収した容器をどうリサイクルするのか、そもそも回収の仕組みをどうしていくべきなのかという議論が活発にされているんですが、そもそもプラスチックとか容器といった「もの」に留まらないリサイクルの概念を広義の意味で考える部門というのがなかったことについて、中林さんの船に乗りながら気づかされました。それは「誰にも頼まれないけど、大事だと思うこと」に繋がることだとも思っていて、そうした必要性を、船で私たちが体感したこと、そこでの気づきとともに社内で共有していけたらと思います。
中林|近頃は観光船も増えてきて、船を通じて私ができることはもう十分なのかなと思っていたところもあるんです。でも今日、こうして皆さんのお話を聞きながら、まだまだバランス良く続けられたらと思いました。また何かご一緒できたらうれしいです。
中山|はい、またぜひ中林さんの船に乗って、時間旅行をしましょう。
Enjoy Eco School 代表 / keen災害支援パートナー / HITひろしま観光大使
中林裕貴Hirotaka Nakabayashi
東京の水辺をフィールドに、環境教育、保全活動に取組むNPO法人あそんで学ぶ環境と科学倶楽部を主宰。およそ10年前、誰も意識していなかった東京の川や海を船で巡る「都心の水辺でエコツアー」は、環境教育だけでなく観光の視点でも注目され、今日の水辺に多くの方が訪れる[キッカケ]となった。