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「きれいの輪郭」1/4

東京藝術大学中山英之研究室 × 花王株式会社

撮影=高野ユリカ 構成・文=水島七恵

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 2021年4月、東京藝術大学中山英之研究室と花王株式会社による協働プログラムがスタートした。後にreframingプロジェクトと呼ばれるこの協働プログラムは、花王が長らく取り組んできた環境課題に着目。この課題に大きな視野で取り組もうと「きれいの輪郭」をテーマに、約半年間かけてワークショップを重ね、未来の生活像を描いた。その記録を、プロジェクトメンバーとともに振り返る。

「きれいの輪郭」 東京藝術大学准教授 中山英之

 

 部屋や体をきれいに保つと、心に余裕が生まれて、何かをしようという活力が湧いてきます。けれども最近、どこかスッキリしません。美しい水回り空間で身体を整えても、それと引き換えに排水口に消えていった何かは、いったいどこに行くのでしょう。新しい洗剤を揃えると、代わりに空になった容器が生まれる。ごみの日に外に出してしまえば、それらは消えてなくなるのでしょうか。
 自分や自分の空間がきれいになることと引き換えに、もしも何かがきれいにならないのだとしたら、なんだか気持ちがきれいになれない。たぶん多くの人が今、そんな「きれいの輪郭」について、ぼんやりとした不安をどこかに抱きつつ、暮らしているのではないでしょうか。
 そこで今回は、主に「建築」という、私たちの身体よりも大きな輪郭を通じて、この問いに向き合ってみたいと思います。家という輪郭、あるいは家や建物が集まった街という輪郭、もっと広がって、都市という輪郭。そうした大きな視野で、私たちにとっての「きれいの輪郭」を描き出してみましょう。

課題1:花王プロダクトの輪郭をリサーチしよう。
 
例えばここに1本の洗剤があります。この洗剤が何をどのような作用できれいにし、同時にどれほどの負荷を環境にもたらしているのかを、生産、流通、消費、廃棄の全プロセスについてできる限り詳細に調査し、その見取り図を描いてみましょう。
 
 
課題2:「物」がもたらす「設え」と「所作」を探ろう。
 
例えば固形石けんは、それそのものの輪郭が、運搬や保存に適した特質を備えています。けれども、生活の中で使用する際には、専用のケースや置き場などの「設え」を必要とし、それに応じた様々な「所作」が生じます。このような、「物」と「設え」と「所作」の関係を、複数の花王プロダクトについて観察し、その特徴を記述、描写してみましょう。
 
 
課題3:「きれい」を測る指標を知ろう。
 
例えば洗剤にはその成分に、それらが混ざった排水にはその水質に、容器にはそのリサイクル性に、様々なルールや指標が存在します。また、その洗剤を用いた対象が「きれい」になったのかを測る指標も、色々に定義されています。私たちが「きれい」を測る時に依拠する基準や指標をなるべく広範に知ることで、私たちの社会にとっての「きれい」とは何なのかを深く学んでみましょう。
 
 
課題4:課題1〜3を通じて浮かび上がってきた知見をもとに、私たちにとっての「きれい」の輪郭を描写してみましょう。
  
それは、私たちの生活習慣やそのための空間やプロダクトの「かたち」を再考してみること、と言い換えることもできるでしょう。「かたち」には、もしかしたらプロダクトを工場からスーパーの棚に運ぶ容器が含まれるかもしれません。あるいは、スーパーではない方法でプロダクトを手にする場を、新たに考えることかもしれません。もっと広がって、建築や都市の排水処理のしくみに働きかけるようなことかもしれないし、もっと小さな、流し台の石けん置き場について考えてみることかもしれません。浮かびあがってきた多様で創造的な「かたち」と、それらが連携した新しい生活像を設計し、その内容を図面、模型、ドローイング、文章等、豊かな方法を用いて表現してください。

建築が存在する住所のはじめを地球に

 

― 第1回目のワークショップは花王すみだ事業場に集まって、プロジェクトメンバーの顔合わせが行われました。内容は、東京藝術大学(以下、藝大)と花王株式会社(以下、花王)による協働プログラムが生まれた背景(注1)の紹介に始まり、課題のテーマである「きれいの輪郭」の説明、そして花王の先端エコ技術を体験できる施設、花王エコラボミュージアム(注2)のオンライン体験などが行われました。
 
穂積芽里(以下、穂積)|私は課題文を読んだ時に、とてもわくわくしたことを覚えています。というのも、私は花王でプロダクトデザイナーとして働いていますが、自分がデザインしたものがプロダクトとして世の中に出る喜びを日々感じているその一方で、使われたプロダクトが最後に行き着くところを考えた時にモヤモヤを感じるところがあったんです。そのモヤモヤを中山先生が言語化し、課題として目の前に提示されたような感覚がありました。また、藝大の建築専攻のみなさんとコラボレーションするのは初めてだったので、どうなるのか予想もつかず、それが逆にとても楽しみになったことを覚えています。
 
中山杏子(以下、中山)|私も穂積と近いかもしれませんが、藝大の若い世代のみなさんが考えていることと、自分が考えていることにどんなギャップがあるのか。それを知ることができると思うとわくわくしました。私は普段、ESG部門に所属していて、社外の皆さんに花王が考えるESGについて発信するときに、どうしても花王の事業やプロダクトに近しい場所からの発信になってしまうので、もっと広い視野を持ちたいと思っていたんです。そういった意味でも、中山先生からの課題文は、きれい=清潔や洗浄に関わることだけでなくて、楽しいことやしんどいことなど、感情も含めた暮らし全体が課題の範囲に含まれていると感じたので、これからどうなるだろうと楽しみになりました。

注1

藝大×花王 協働プログラム
2020年、芸術と科学の共創を目指して、藝大×花王による協働プログラムはスタート。第1回目は藝大美術学部デザイン科と組んで、花王の新たな研修所である新佑啓塾の構想をめぐって、芸術思考をもとに花王社員自らが設計に関わるワークショップが行われた。2年目となる2021年は、藝大美術学部建築専攻の中山英之研究室と組み、「きれいの輪郭」をテーマに、都市や社会に対するグランドデザインを描くことを目指す。

 

 
佑啓塾は、花王すみだ事業場内にある。

注2

花王エコラボミュージアム
2011年7月に花王和歌山事業所内でオープン。環境やESG(Kirei Lifestyle Plan)に関する社内外へのコミュニケーションの場として活動を行っている。

成定由香沙(以下、成定)|中山先生はひとつの物事を考えるときに、いつも視点を広く持つように意識されていて、建築が存在する住所のはじめを「地球のどこそこの……」とよく言うんです。私はその視点が今回の課題内容にも込められているなと思いました。例えばごみを外に出して処分しても、地球のスケールで考えてみると、ごみはA地点からB地点へと移動しただけにすぎないように、視点の転換が求められています。
 
川北宜央(以下、川北)|中山先生のその視点に、私自身は最初、戸惑いました(笑)。「きれいの輪郭」というテーマのもとに、とても高尚な文章が書かれている印象で、一体、これをどんな風に読み解いたらいいんだろうと。というのも私は花王で企業ブランディングに関わるクリエイティブを担当していますが、花王が普段スタートラインにしていることと今回の課題文は、まったく別の場所にあると感じたんだと思います。言い換えるとそれは「プロダクトを作るとか、サービスを提供すること以上に、もっと企業が考えるべきこと、あるんじゃないですか?」と、中山先生からどかっと宿題を渡されたような感じもして。だからこそ最初は戸惑いしかなかったんですが、次第に企業人としてではなく、生活者として、もっというとこの地球に住んでいる人間のひとりとして課題と向き合っていくにつれて「なるほどな」と。課題文にある「大きな視野で、私たちにとっての『きれいの輪郭』を描き出してみましょう」とはこのことかもしれないと、少しずつ自分なりに気づき始めた感じがありました。

― 当日、中山さんは「きれいの輪郭」の“輪郭”という言葉の概念をどう扱ったのか。以下のように補足されていました。

  
 
「輪郭」という言葉は、ランドスケープ・アーキテクトのイアン・マクハーグが発した定義、「風景の輪郭とは、分水嶺から分水嶺までである」に由来します。分水嶺とは、簡単に言えば山の尾根線のこと。空から落ちてきた雨粒たちの一群が、偶然着地した尾根の稜線でその運命を分断されて、それぞれが全く違う谷へと流れ落ちて別の海に至る。この「分水嶺」に囲まれた範囲で起こる水の多様なふるまいのことを、マクハーグはランドスケープ(風景)と呼び、その輪郭を定義したのです。
 ただしこの定義を、そのまま現代の東京に当てはめることはできません。なぜなら東京の生活水は、東京都に降る雨の総量を超えるほどの水を、この分水嶺の外から人工的に運び込むことで賄われているからです。ということはつまり、都心を流れる川の水の過半が、上下水道を介して私たちの住環境を経由した水でもあるということです。(注3)
  
 この水に、花王のプロダクトも関係しています。例えばシャワーを浴びるときにはシャンプーやボディソープを使いますし、汚れた衣服を洗うには洗剤が必要です。それらが混ざった水は家の排水口を通じて下水処理場に運ばれて、そこで浄化された水が川に流されているんですね。
 ところが例外があるんです。昨今のゲリラ豪雨のように短時間で大量の雨が降ると、下水処理場に辿り着く前に下水管がパンクしてしまうんです。そうなると、行き場の無くなった下水はあらゆる排水口から溢れ出てしまいます。そんなの嫌ですよね。仕方なく途中で下水管のバルブを開いて、そのまま川に放つしかありません。考えたくないけれど、オリンピックのトライアスロン競技で問題になった「川がにおう」というのは、これが原因です。だからといって、そうかそれならば大雨の日はみんなシャワーを我慢すればいいんだね、なんて誰も言いません。
 雨や地形が作り出す風景の輪郭に、その外側から人工的に運ばれてくる水の仕組みを重ね合わせたところ。私たちはそこにどんな輪郭線をイメージすれば良いのでしょう。このイメージこそが都市に生きる私たちにとっての新しい課題であり、今回藝大の建築と花王の科学のまなざしを通じて、取り組んでみたい主題でもあります。それをぜひ、自分たちにとって身近な生活のシーンから想像してみたいのです。

注3

『遅い水』のランドスケープ
都市生活と水を巡る中山の洞察は、コラム「『遅い水』のランドスケープ」に続く。

藤井洸輔(以下、藤井)|中山先生がここで話された「自分たちの生活」や花王さんの課題意識から、確か固形石けんの話につながったと思います。ポンプ型のプラスチックのケースに入った液体石けんは、つねに一定の量を使うことができて扱いも楽だけれど、ケースを作るにも処分するにも環境に負担がかかっています。一方の固形石けんは保管も運搬も楽で、ケースもないから環境にも優しい。ただし使う度にぬるぬるしてしまうし、汚れもする。その上で液体と固形、どちらの石けんを選択したいか?というときに、もしも固形石けんが昔ながらの豆腐屋のように売られていたら? 架空の石けん屋を想像する話にもつながりました。豆腐屋のような石けん屋があれば、欲しい量だけ計り売りで買うことができるし、そのときどきのニーズにあった香りや成分を含んだ石けんを買うこともできるかもしれない、と。
  
成定|普段、藝大で取り組んでいる建築設計課題というものは、そうした架空の世界、どこにも存在していないものをあたかも存在しているかのように考え、言葉にして、模型にするという作業を繰り返しながら、新たな視点やかたちを見つけていきます。この建築設計課題のスタイルが、花王のみなさんと未来を考えていく上で有効な方法ではないか? 中山さんはそんなお話もされていました。

原材料を選ぶところから、ごみに出すところまで

 

― 石けんといえば、花王プロダクトの歴史は「花王石鹸」から始まっています。課題を共有した後は、和歌山県にある花王エコラボミュージアム(以下、エコラボ)とオンラインでつなぎ、きれい=洗浄にフォーカスしながら、花王プロダクトの歴史やサステナブルな取り組みについて知る時間となりました。

  
 
 1890年、花王は「花王石鹸」を発売することから始まりました。当時、化粧石けんが「顔洗い」と呼ばれていたことから「カオ(顔)石鹸」と名づけ、「花王」という文字をあてました。これが社名の由来となります。
 1950年代半ばに入ると日本は高度成長を迎え、電気洗濯機が普及。人々のライフスタイルの変化に伴い、花王は合成洗剤や粉シャンプーを製造・販売するようになります。1970年代には、のちにロングセラーとなる『メリット』シャンプーも誕生しています。

 1987年には粉末洗剤『アタック』を発売します。包装材料の省資源化や生産・物流面での消費エネルギー削減など、環境問題にもいち早く対応した「コンパクト洗剤」がまさに『アタック』でした。
 以来、花王は環境に配慮したプロダクト開発の取り組みに力を注いでいます。2009年に『アタックNeo』を発売。洗浄力に加え、特に「節水」に着目して洗浄成分の研究を進めてきた『アタックNeo』は、洗濯時間が短縮できるとして生活者に広く支持されてきました。
 そしてこの『アタックNeo』に続くのが、2019年に発売した『アタックZERO』になります。近年は、環境に配慮した節水・大容量タイプの洗濯機が主流となっています。さらに、油脂分と親和性の高い化学繊維を使った機能性の高い衣類も増加。このため、既存の洗剤では衣類についた皮脂汚れなどを完全に落とすことが難しくなっているなか、高い洗浄力で、経年による衣類の汚れをゼロにすることなどが商品の特長となりました。
 原材料を選ぶところから、ごみに出すところまで。現在花王では、そのすべてがエコにつながるモノづくりに取り組んでいます。この、「原材料を選ぶ」「プロダクトをつくる」「プロダクトをはこぶ」「プロダクトをつかう」「ごみに出す」までのあいだに、プロダクトがどれだけ環境に影響を与えるのかを、客観的にはかるものさしを、LCA(ライフ・サイクル・アセスメント)といいます。
 例えば洗浄するためにきれいな水を使うにも、ごみを出すにもエネルギーが必要です。エネルギーを使用すると、それが石化由来の場合、地球温暖化の原因である二酸化炭素が多く排出されます。それを可視化しながら、二酸化炭素の排出を抑制できるよう、プロダクトのライフサイクルを念頭に研究開発を行っています。
 
 

花王エコラボミュージアムは事前予約制で見学可能。https://www.kao.com/jp/corporate/about/tour/museum-tour/eco-museum/

 
 
引間理恵(以下、引間)|花王は130年にわたり、人々の暮らしに寄り添うことで、豊かな生活文化の実現をめざしてきました。そのなかで花王がエコに対してどんな取り組みをしているのか。それを改めて弊社社員と藝大のみなさんにも知っていただこうというところから、エコラボの体験ツアーを企画をさせていただきました。
  
今井菜月(以下、今井)|私は普段、花王で香りの研究開発をしているんですが、自社のエコラボの取り組みを見ながら、自分が開発中に考えていることというのは全体のなかのごく一部だったんだということに改めて気づかされました。そしてもう一段階視点を上げて香り開発やプロダクト開発に取り組まなければいけないと、考えさせられたんです。
  
成定|私もエコラボは想像していた以上に興味深かったです。プロダクトのライフサイクルにおける様々な取り組みを、展示や映像、体験プログラムなど多岐にわたって紹介されていて実際に行ってみたくなりました。なかでも生活用水について、日本では洗浄を目的とするものが大部分を占めていて、プロダクトを使用する際に使用される水量が生活用水使用量の15%を占めているという事実を知ることも大きかったです。
  
藤井|ライフサイクルの最初の課題である原材料、洗剤を何から作っているのか?についてのヤシ油などの紹介は、この後続くワークショップの取り組みにも重要な視点になったように思います。例えば、洗剤の材料がヤシの実であるならば、シャンプーと洗濯洗剤と食器洗い洗剤はどう違うのか、というような疑問へと繋がってゆきました。
  

   
 花王にはさまざまなプロダクトがありますが、その原材料で最も多いのが汚れに吸着し、はがしてくれる「界面活性剤」です。この界面活性剤をつくるためには油が必要で、かつてはヤシ油(ココナッツの実)を用いていましたが、石油化学の発達にともない、石油から多くの界面活性剤が作られたのです。しかし石油は有限の資源であり、地球温暖化の原因となる二酸化炭素をたくさん放出します。一方のヤシ油は、地球環境を保ち、かつ永続的に使え、二酸化炭素を吸収して成長します。花王はこのヤシ油に再び切り替えることで、環境への負担を減らす工夫を行ってきました。
 ただしヤシ油は、持続可能性において課題があります。それは天然油脂の中で洗剤に使用できる原料は、全体のわずか5%程度だからです。そこで花王では独自の技術によって、アブラヤシの実から採れるパーム油の搾りかすを原料とすることにも成功しました。
 アブラヤシが育つのは、熱帯域です。その地域の森林は、多くの生き物が個性とつながりを持って暮らす「生物多様性」が存在する場所です。そして、森林は二酸化炭素を吸収する役割も果たすため、地球の気候を安定させるためにも、とても重要です。花王は、生物多様性の保全に配慮した、森林破壊ゼロの調達をめざして、「持続可能なパーム油」の調達ガイドラインを策定しています。花王グループの消費者向けプロダクトに使用するすべてのパーム油は、持続可能性に配慮していることを、農園までさかのぼって確認のできるもののみを購入しようと、これまで取り組んできました。
 ヤシ油やパーム油は食用でもあるので、将来的には食べられない部分を原料に界面活性剤を作りたいと思っています。実際目をつけているのは、微細藻類。砂漠のような不毛な土地でも培養さえすれば油を溜めることができます。このように花王では地球環境に負荷をかけない原材料の開発を継続的に行っています。
 

 
- 最後は今後の課題の進め方について、それぞれで少しディスカッションして、第1回目のワークショップは閉じましたね。
 
成定|はい、プロダクトの原材料から生産、消費、運搬、廃棄、リサイクルまで。花王さんのお話を聞きながら、課題としての設計の対象領域がとても広いなあという実感がありました。そういったなかでも私たちは建築専攻なので、プロダクトが使われている環境としての住宅も考えていきたい。それも住宅を中心に生まれる生活の所作も一緒に描きたいと。一度全体像の地図を描いてみようと。そのような話が最後のディスカッションの中にも上がったと思います。
 
引間|花王の方では課題1について、自分たちが理解不足であった花王プロダクトについてリサーチをしましょう、と。課題2は、物の所作を良い方向に変えていくには? 課題3は「きれい」という概念自体が時代や世代によって変わってくるという前提に立ち、様々な角度からリサーチしましょう、という話になりました。
 
川北|ここから半年かけてどんな輪郭になっていくのか。この時点ではまったく見えていませんでしたが(笑)それが逆に楽しみでもありました。

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