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「きれいの輪郭」2/4

東京藝術大学中山英之研究室 × 花王株式会社

撮影=高野ユリカ 構成・文=水島七恵

reframing
project

 2021年4月、東京藝術大学中山英之研究室と花王株式会社による協働プログラムがスタートした。後にreframingプロジェクトと呼ばれるこの協働プログラムは、花王が長らく取り組んできた環境課題に着目。この課題に大きな視野で取り組もうと「きれいの輪郭」をテーマに、約半年間かけてワークショップを重ね、未来の生活像を描いた。その記録を、プロジェクトメンバーとともに振り返る。

建築の両側にあるものにまず目を向ける

 

― 2回目のワークショップはコロナウィルスの感染状況も鑑みて、オンライン開催に。前回提示された課題を受けて、各自が取り組んできたものを発表する場となりましたが、ゲストとして 株式会社LIXIL(注1)から3名の方が参加されました。
 

引間|LIXILさんは住まいと暮らしに関わる製品を開発、提供されていて、花王と同じ「洗浄」を扱う企業です。そのため、企業として似た悩みも抱えているのではないか? という観点から、主に水とトイレ、きれいと循環などをテーマに、いくつかの事例紹介(注2)をしていただきました。
 

川北|同じ企業人として、LIXILさんのお話は率直に勉強になりました。LIXILさんが「“洗浄”に関わる技術ソリューションにおいて、花王さんはつねに“汚れをいかにきれいにするか”に焦点を当てていますよね。私たちLIXILの発想は逆です。“いかに汚れがつかないようにするか”という、防汚や抗菌のほうに執着があるんです」とおっしゃっていて、なるほどなあ、と。同じ洗浄でも、アプローチの中身がまったく違うんです。これは大きな気づきでした。
 

藤井|LIXILさんからのトイレの節水にまつわる未来の話も印象的でした。トイレは機器単体での節水性能には限界があって、今後は建物全体で捉えた新たな節水システムの検討が進むと予想される、と。また海外の事例として、上下水道に頼らずに、水の自給自足をしているというアメリカの商業オフィスビル(Bullitt Center)の話にも及びました。「ビルは大きな屋根があって、そこから雨水を収集して地下貯水槽に貯めて、濾過や塩素処理を施し、ビル内の飲用水として利用されている。また、トイレから出る汚水に関してはコンポスト化して、堆肥にしている」といったLIXILさんからの説明を受けて、まさにこれは中山先生が課題文に書かれていた「きれいの輪郭」に通じる話だなと思いました。トイレという身近なものからやがて建物全体、街へとその輪郭が及んでいくという実感がこのとき湧いたのを覚えています。
 

川北|実感といえば、藝大の皆さんによる実験の発表がまた、どれも身体を張ったものばかりで驚きました。まず刺激的だったのは、森野さん。自作した固形石けんで身体を洗い、その排水で野菜を育てて、食べるという実験をされていて。その上で「基本的に食べられるのかどうか? で、『きれい』の指標になるのではないかと思っています」と。森野さん、本気で身体を張っているなあと。
 

注1
株式会社LIXIL
先進的なトイレ、バス、キッチンなどの水まわり製品と窓、ドア、インテリア、エクステリアなどの建材製品を開発・提供。ゲストとして参加した3名の方は、主に水回り製品の研究とデザインを並行して行う、デザイン・新技術統括部に所属。また、株式会社LIXIL と東京藝術大学は縁が深い。藝大の学生と東京都建設局とが共同で改修・オープンさせた「上野トイレミュージアム」のトイレのタイルは、「LIXILやきもの工房」でサンプル制作を行い、製造された。
注2
LIXILの事例紹介
LIXILの防汚・抗菌技術の紹介、トヨタ自動車との共同開発となった移動型バリアフリートイレ「モバイルトイレ」、日本初の「ゼロ・ウェイスト宣言」をした徳島県勝浦郡上勝町と協働し、トイレのし尿や生活雑排水を戸別処理し、再利用・再資源化する「エコ・サニテーション」などが事例として紹介された。

森野が灰とオリーブオイルから自作した固形石けんの写真。

 

穂積|藝大の皆さんの発表は、本当に刺激的でした。組織の人間として、つい効率化を求めてしまいがちな自分を振り返るきっかけにもなりました。手足を使うことでしか得られない学びがあるんですよね。
 

成定|『きれい』を軸としたとき、自分たちがどんなものを設計の対象にすべきなのか、とても悩みました。固形石けんを置くプロダクトになるのか。固形石けんを取り扱うポップアップストアを設計してみるか。もしくは住宅をひとつ、設計するのか。そもそも建築とするのか? ということまで考えながら、いったんそこは保留にして、まずは固形石けんという洗浄のためのプロダクトから、流通や環境といった建築の両側にあるスケールから掘り下げてみようということになりました。そこで私自身は、実生活のなかで洗浄に関わるものをすべて固形のものに変えてみたんです。
 


 

中山|その成定さんの「ひとつの石けんですべてをまなかってみよう」というシンプルな発想は、花王側からはなかなか出てこないもので刺激を受けました。というのも、クレンジング、ボディソープ、シャンプー、コンディショナーといったように、細分化されたラインナップのなかで生活をするのが当たり前でしたし、何より私たちはそこでビジネスをしているので。
 

成定|自分たちが普段感じている“洗浄”という行為と、“本質的にきれいになる”ということをどうやって結びつけられるのか? ということを模索しながら実験していたと思います。またこの頃、私たちがロールモデルとしていたのがコーヒーやチーズの文化でした。どちらも興味深いのが、購入してから飲む・食べるまでの所作がとても豊かなことです。コーヒーは浅煎りで飲むか、深煎りで飲むか。注ぐお湯の熱さでも味が変わりますし、チーズは溶かしてフォンデュにしたり、削って粉にしたり、スライスしたりと様々な形を楽しみます。このような豊かな所作から始まる経験や文化のように、固形石けんを通した水回り、洗浄を新しい文化として考えられないだろうか? そうした考えがありました。自分の手の届く範囲で得られる気づきを大切にしたいと思っていたんですね。
 


 

藤井|成定の言う通り、藝大側は建築よりも小さなスケールに対する興味関心で話が進んでいましたが、僕自身は建築よりも大きなスケールに興味を持っていました。というのも僕は高校時代にヨット部で、今もときどきヨットに乗るんですが、ヨットは積み込める荷物は限られますし、自然と向き合うための小さな密室でもあり、究極的に言えば、そこで生死を選び分けていくような行為を行う乗り物でもあります。まるでリアル人生ゲームのようなスポーツなんですが、今回『きれいの輪郭』という課題に向き合う上で、航海するヨットを都市に見立てられないかなと考えて。
 


 

 都市という一隻のヨットを乗りこなすにはどうしたら良いのか? その視点で考えたときに、まずは自分が一人暮らしをしている部屋をヨットに見立てて、毎日消費している水の量を把握してみたいと思いました。例えば桶に組んだ水を使って食器を洗ってみたとき、桶に組む水は何回分になるのか計ってみたり、浴槽に溜めた水でトイレを流したり、洗濯をしてみたり。そうやって浴槽の水が減っていくのを実感しながら生活をしてみると、1日約176リットルしか使っていなかったんです。それも意識的にエコで暮らそうとした結果ではなく、ヨットに乗るようにゲーム感覚の楽しさを持ちながら生活することができました。それはきっと、絶えず地球から水を分け与えてもらっていて、その水を使って流すということは、海に汚れた水を流すことにつながる。だからできるだけ水の消費を抑えたい。そんな実感があったからだと思います。
 

一人暮らしの部屋を船に見立てたときの図。

 

今井|藝大の皆さんが身を持って体感したことは、私たち花王もまた体感しないといけないものだったなと、このとき感じました。花王にいると、石けんを作る原材料もすぐ身近にあるぶん、そのものの価値をあまり考えずに扱ってしまうところがあると思うんです。ひょっとするとそれが自然と人間の隔たりを自分達で大きくしているのではないか? とも。組織のなかにいるからこそ、見えていなかったことを皆さんの発表を聞きながら感じていました。
 

中山|つい、花王が培ってきた理論をベースに考えがちですよね。そうではなくて藝大の皆さんのように、一個人のシンプルな視点から問いを立て、検証してみるということもまたすごく大切で、それは私たちにも必要なことだなと思いましたね。
 

川北|藤井さんのヨットの発表を聞きながら、自分はきれい=洗浄をものすごく部分的にしか見ていなかったんだなと、このとき思いました。例えば水を使うとして、その場面場面はすごく意識しますが、それを全体で捉えようとした瞬間、自分は案外なにも見ていなかったと。そのことを目の前に提示されたような感覚がありましたし、自分がこれから見るべきものことが莫大にあるかもしれない。そしてそれは時間がかかるだろうとも思いました。
 

仮説とエビデンス。情緒と論理

 

― 花王側の発表は、まず南部博美さん(花王リサイクル科学研究センター長)から今回の課題の参考にと、プラスチック問題における花王の取り組みの事例紹介(注3)がありました。その後、各プロジェクトメンバーからの課題発表という流れに。
 

中山|はい、私は課題3(『きれい』を測る指標を知ろう。)に取り組んでみたいと、まずは『きれい』という言葉の定義やその類義語を集めることから始まり、日本と欧州のきれいに対する感覚の違いをリサーチして、そちらを発表しました。日本人にとってのきれいは欧州のきれいとは捉え方が違っていて、洗浄することの観点から見ても、「汚れを落とすこと」に加えて、「汚れの予防」「身だしなみを整える」という目的が備わっていると感じました。また、きれいにするという行為が、空間や身体をリセットして新たな未来を迎える準備になると信じられてきました。私自身はこのきれいをどこまで突き詰めていくのか。自分はどこまできれいでありたいのか。ということを課題観として持っていたので、そういう投げかけを皆さんと一緒に考えられたらいいなと思ったんです。
 

今井|私は課題2(「物」がもたらす「設え」と「所作」を探ろう。)に取り組んでみたんですが、今思うと、このときの発表についてはすごく反省しているんです。企業視点でつまらないことを考えていたなと。液状の洗剤を例に挙げて、詰め替えを促す仕組みを図解したり、弊社のプロダクトであるトイレクイックルを例に形状やデザインの観点からプロダクトを紹介したり。プロダクトそのものに対してまったく疑いの目も向けることなく、「こうなっているから、使いやすいんですよ」と、解説をするような発表になってしまいました。本当はそのプロダクトを作る工程で、また使った後に発生する目には見えない影響について想像力を働かせた発表ができたらよかったと思ったんです。
 

穂積|今井と同じく課題2に取り組みましたが、私自身もかなり企業視点で考えていたことが思い出されます。弊社のプロダクトを手にするお客様を中心に考えるのではなく、生産と流通、販売といった側面に重きを置いてプロダクトのデザインをしていたなと。課題発表では、化粧品を例に洗浄剤とは異なる情緒的価値のお話もさせていただきました。例えば化粧品はトレンドに合わせて買い換えたいものですし、何より新品を購入するときは気分が上がりますよね。『きれい』を考える上で、そうした情緒的価値についても考えていきたかったんです。情緒と言えば、物と設えから自ずと所作が決まり、その所作が心地良いものであれば、継続していくものですよね。この「心地良い」という情緒についても掘り下げたいなと。そしてそれは藝大の皆さんと協働することで視点が広がるかなと感じていました。
 

注3
事例紹介
プラスチックが発明されてわずか100年のあいだに人類が生産してきたプラスチックの総量は、83億t(*1)。現在も年間4億t(*1)ものプラスチックが生産されるなか、年間800万t(*2)のペースで海洋プラスチックごみは増加の一途に。この地球規模の問題に対する花王の取り組み事例として、「花王のESG戦略 – Kirei Lifestyle Plan」「プラスチック包装容器宣言」をはじめとするいくつかの花王のプラスチック戦略について南部氏から紹介された。
(*1)R. Geyer et al., Science Advances 3(7), 1-5 (2017).
(*2)J. R. Jambeck et al., Science 347, 768-771 (2015).

身近な製品(例えば石けん)がどこからきてどこへゆくのかを考えてみる。

 

川北|自分は課題3に取り組みました。僕たちは日々「きれいにする」「きれいになった」と言ったり、感じたりしているわけですが、それはいったいどういうことだろう? と考えてみたところ、気持ち良いとかすっきり度合いに“水”がとてもよく関係していることに気づきました。
 

「きれいにする・なる」とは。

 

 つまり「きれいにする・なる」には、水の利用が欠かせないということですが、ただ節水すれば「きれいの輪郭」が広がるというわけではなく、節水を超えた考え方が必要で、それならばスケールを変えて考えてみたらどうなんだろう? と考えたんです。
 

「きれい」のスケールを変えて考えてみる。

 

 一つ目は、ビルやマンションであれば各世帯からの排水を大きく溜めて、建物の高さを活かして一気にその排水を落とすことで発電して、共用部の電力として活用する。二つ目は、汚れの度合いによって水の用途をスライドさせてはどうだろう? と。例えば洗濯の際に使用する水。1回につき70リットルもの水を使いますが、大して汚れていない(と信じたい…)服を洗って、泥水と呼ぶには程遠い水はどんどん排水されていきます。その水でお風呂を洗ったり、汚れた鍋や食器の予洗いに使ったり、最後はトイレ洗浄にも使えるかもしれない。そして三つ目は、普段は隠れているものを明るみに出してみるのはどうだろう? 例えば下水は見えないように設計されていますが、下水道をクリエイティブなフィルター(ありのままを見せるわけではない)をかけて見える化して、歩道脇に配置する。そうすることで、例えば排水の量によって水の色が変化することで環境問題を日常の中で可視化しつつ、天気や自然と同じように味わうのはどうだろうか、といったことを提案しました。
 

水の使い方をスライドさせてみる。

 

― 藝大と花王、それぞれ課題に対するアプローチの手法がまったく異なっていることが興味深かったですが、藝大のおふたりは、花王の発表を聞きながらどんなことを感じましたか?
 

成定|私たちの研究室はアブダクション(仮説)によって、エンジンをかけていく傾向があるんですが、花王の皆さんはやはりエビデンスがあっての課題発表だったので、出発点から真逆に思いました。
 

藤井|“仮説に仮説を重ねる”というのは、実はちょっとやばいことでもあると思うんです(笑)。でも花王の皆さんはひとつずつ論理立てて進めていく。そのプロセスを体感できて勉強になりました。
 


 

中山|そのベースがサイエンスゆえに考えられる範囲が限られてしまうところもあるんです。だからこそ藝大の皆さんの仮説や建築設計といったアートと、花王のサイエンスを組み合わせたら、おもしろいものができると思いました。
 

川北|藝大の皆さんによるプレゼンテーションのスタイルも気づきが多かったですね。それぞれその人らしくアレンジされていて、何より楽しんでいる様子が感じられ、楽しむ余白があることが、プレゼンテーションの魅力に繋がっているんだなと感じました。
 

藤井|先ほど話に挙がった森野の実験(自作した固形石けんを使うことで出た排水で野菜を育て、食べる)や僕のヨットの実験(部屋をヨットに見立てて、毎日消費している水の量を把握)は、やってみるとどちらも不便ですし、とても面倒臭いものです。だけどそれ以上にその不便さを楽しんでいる自分たちがいて。まさにそれが穂積さんもおっしゃっていた「情緒的価値」の話に繋がってもいて、今回『きれいの輪郭』を考える上で、僕たちが大事にしなくてはいけない視点なのだろうと、このとき感じていました。
 

成定|建築として考えたときも、例えば「水を極力使わない家」といった生活のストイックさが主題の話になってしまいそうで、それはあまりやりたくなかったんです。私たちが設計しなくても将来そうなるであろう事柄に対してアプローチするよりも、面倒臭いを超えた喜びがそこにあることを見つけていきたい。『きれいの輪郭』を考える上では、その喜びが重要ではないかなということが根底の意識下にあったような気がします。
 

藤井|住宅やホテルの設計などもいろいろ考えましたが、結局、ものが重要ではなくて、「そういう生活スタイルっていいよね」という、ひとつの文化を提案していくような気持ちになっていました。

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