「きれいの輪郭」4/4
東京藝術大学中山英之研究室 × 花王株式会社
2021年4月、東京藝術大学中山英之研究室と花王株式会社による協働プログラムがスタートした。後にreframingプロジェクトと呼ばれるこの協働プログラムは、花王が長らく取り組んできた環境課題に着目。この課題に大きな視野で取り組もうと「きれいの輪郭」をテーマに、約半年間かけてワークショップを重ね、未来の生活像を描いた。その記録を、プロジェクトメンバーとともに振り返る。
都市というひとつの船の乗りこなし方
藤井|そうですね。そもそも石けんは中山先生からの課題文のなかで触れられていたプロダクトで、私たちはこの石けんに可能性をずっと感じてきました。最初にロールモデルとしたのがコーヒーやチーズの文化です。どちらも興味深いのが、購入してから飲む・食べるまでの所作がとても豊かなこと。こうした豊かな所作から始まる経験や文化を石けんに置き換えながら、水回り、洗浄を新しい文化として考えられないだろうか? ひとつの問いのなかで「dividualな私たち」「不均質なプロダクト」という2つの重要なキーワードに出会いました。講評会ではこのキーワードも含めてどうストーリー立てられるのか。その点について主にディスカッションしたと思います。
成定|石けんそのものではなく、私たちは石けんにまつわる流通から所作、そしてそれが分解されるまでの循環が持つ輪郭から、その可能性について思考してきました。
小島|そうやって「こんなことも、あんなことも考えられますね」と、どんどん地図を広げていくようなワークショップを重ねてきたと思います。中山先生も「たとえその地図に穴が空いていてもいいから、広げていきましょう」と。
成定|大きな地図を描いていこうと、各自がそこに積み上げていきながら、途中アブダクション(仮説推論)の思考を取り入れることで、想像から描くやわらかな輪郭も同時に膨らませていくことにもなりました。そこで「石けんのある生活だったら、こういうことが考えられるよね」とブレストしながら、私の方では住宅のスケッチに描き込んでみたり、実際にそこから住宅の模型を作ってみたり。バラバラと考えていたものを全員で再確認しながら、最終講評会に向けたプレゼンのストーリーがこの辺りでやっとクリアになったような気がします。
― そのストーリーですが、藝大の方で一度まとめたものをこのディスカッション場で発表していました。下記はその内容を抜粋、編集したものになります。
今、私たちは石けんのことを考えています。
石けんを、料理に使う調味料のように捉えてみます。例えばチーズグレーターを使って石けんを削り、粉にしてみます。その粉にした石けんを溶かせば石けん水になります。洗浄効果が違ういくつかの石けんを混ぜてみて、そこに好きな精油を加えて、自分好みの香り石けんにして楽しむことも可能でしょう。
石けんは、油脂とアルカリという非常にシンプルな原料で作ることができるので、大きな設備を必要とせず、その気になればどこでも誰でも作ることができます。また容器がなくても保存可能な石けんは、紙に包めばそのまま持ち運ぶことができるため、例えば使用前の石けんをペーパーウェイトにしてみたり、石けんの香りのついた紙を便箋にするといった楽しみも工夫ひとつで生まれるでしょう。
石けんには水の利用が不可欠です。そこで「蛇口から水が出ること」の先にある、大きな水の流れのなかで石けんを捉えてみましょう。自分の身体の汚れを落としてくれる石けんの成分が、都市や自然環境、地球の循環のなかに混じり込んでいるイメージで。例えば屋根に降った雨水を利用したプロトタイプとしての住宅。それから石けんの使い方を学んだり、自分の好きな産地や香りを選んで石けんをレシピすることも可能な、コンテナショップが存在しても良いでしょう。
「不均質なプロダクト」
プロダクトとしての石けんについて考えてみましょう。大抵のプロダクトはいつも同じ品質で均質なものが求められています。しかしワインやヨーグルトといった発酵文化はどうでしょうか? 同じ発酵でも土地が違えば味も用途も違うように、その不均質さが楽しまれています。石けんもまた「今年の出来はこうだった」と言うような、不均質さを楽しむ文化を育むことは可能ではないでしょうか。その年ごとに出来が違う石けんから、間接的に移りゆく世界を想像するような「生きた石けん」を考えることができるでしょう。
「都市というひとつの船の乗りこなし方」
石けんと私たちという手のひらサイズのスケールから、雨水の循環のような大きなスケールの話、あるいは私たちの排泄物と菌の関係といったミクロなスケールまで。これらの様々なスケールは建築を通して同時に考えることができます。
私たちは6月のボートツアーを通じていかに自分たちが水の循環に無関心だったかを思い知らされました。かつての私たちは分水嶺から分水嶺のあいだに降る雨を上手に使って生活してきましたが、現代の都市では小さなダムがなくなり、わざわざ大きなインフラを使って分水嶺の外側から人工的に水を運び消費しています。
そこで私たちの住宅をひとつの小さなダムに置き換えてみることにしました。住宅を小さなダムにするためにまずは雨水を貯める貯水タンクを屋根の下に取り付けます。貯めた雨水は太陽熱温水器で温められ、蛇口から出てくる構造になりますが、大きな水回りの高さを変化させながらところどころ窪ませます。その窪みがシンクになっていたり、バスタブになっていたり、すべてが細い溝で繋がったまるで人間のひとつの臓器のようなあり方を考えています。
自分たちで水の流れを理解しながら生活するために、すべての配管設備をオープンにします。こうすることでメンテナンスも容易に行えるような住宅になるでしょう。
このように水の流れを理解していくと、雨水を生活用水として利用して下水管にただ流すだけでは、地球上の大きな循環の中に自分たちがまだ入り込めていないことに気づきます。自然の循環の中にそっと入り込んで、雨水を借りては返す関係性の中にこの住宅を位置付けるためには、例えば植物による蒸散(注1)が必要です。
住宅には排水をうまく利用しながら、野菜を育てていく小さな庭もあるでしょう。肥料はホームセンターから買ってくる必要はありません。コンポストを処理するバイオトイレがあれば、私たちの排泄物と菌の力を使って、庭を育てることができます。そして植物の受粉に欠かせないミツバチなどの虫たちも、住宅の持つ熱を頼りながら一緒に住んでいるかもしれません。
これら一連の要素が詰まった住宅の外観は、シンプルな小屋型で考えてみました。ひとつに連なった大きな水回りによって部屋が形づけられていきます。水回りと一緒になったベッドルームでは、石けんの香りが広がっているでしょうし、お湯のパイプをタオルバーにすればタオルを温めることができますし、石けんを溶かすこともできます。
これまでのサステナブルなアクションは、無駄を排除したストイックなものが多かったように思います。しかし私たちが取り組んだワークショップでは生活がもっと豊かになるような、情緒的な要素を大切にしてきました。
ここで考える住宅は、一般的な住宅に比べれば小さい水回り、そしてそこへ上るための大きな階段が存在するように、一見すると無駄に思える設備が加わり、そしてそれを叶えるためにはお金が余計にかかるかもしれません。しかしこのような情緒的価値のある生活像を通じて新しい文化が育まれることで、「こんな住宅に住みたい」という生活者が増え、それに伴って都市の在り方、お店やホテルと行った施設の姿を変えるかもしれません。例えば細長い小屋のような住宅をさらにコンパクトにすれば、街を移動するオフグリッド式の石けんショップへと展開できるでしょう。
「私」とは、無数の菌と共生・協働した一つの生態系である。そんな「dividualな私」を前提に自分の生活と住宅、お店と周囲の環境を描いていった先に、都市というひとつの船の乗りこなし方が見えてくるのではないかと思います。
- 注1
- 蒸散
水が植物体から大気中に蒸発する現象のこと。植物では、水は主として葉に存在する気孔を通して水蒸気の形で排出される。
壮大な思考実験から、疑問を呼び覚ます
小島|はい、これまでのワークショップでも議論してきたように、石けんを生活者が買い方から使い方までを能動的に考え、楽しむことができる状態に持っていきたいと思いました。そこで、石けんショップは石けんの量り売りをイメージしながら、それを起点に生活者が自分だけのオリジナルを創作していける場所として考えました。
穂積|ワークショップを重ねていくごとにどんどん中身が広がっていって、これを最終的にどう見せるのか不安もありましたが、石けんを作ってみようと。ディスカッションの後に花王チームで材料や道具を買いに行って、藝大で即興的に石けんを作ってみたところから、私自身はすこしずつ見えてきたように思います。
― 香りの研究開発に従事している今井さんは、実際に植物から香りの抽出もされていました。
今井|はい、普段の業務だと香料のもととなる原料は、すでに手に入っている状態なのですが、今回は実際の植物から香りを抽出して香料を作ってみるというプロセスだったので、自分の外側にある自然環境とそこにある循環をダイレクトに感じることができました。普段生活していると、例えば化粧品や洗浄料などを通じて安定的に自分の好きな香料を手にしていると思うんです。でも香料もまた、本来は自然に左右されるもの。そうした不安定なもの、不均質なものを自分としても表現したいなと考え続けてきた結果、最終的には余剰作物から作る香りが生まれました。
― ディスカッションでは石けん周りの提案のほかに、一連のワークショップの変遷を踏まえた大切な問いかけがありました。
中山|ワークショップの課題テーマである「きれいの輪郭」を最終的にはどんなゴールに持っていけばいいのか。悩みながら皆さんと話をしているうちに、ここで何か1つの答えを導き出すんじゃなくて、これだけ地図を広げてみたけれど、「みなさんどう思いますか?」と、投げかけながら巻き込むような形を目指そうと。自然とそうなっていったと思います。
川北|最後のディスカッション、濃密だったんです。どこに着地があるだろう? と何度も議論したり、何が私たちにできるのか。直前まで試行錯誤していたと思います。そういうなかで中山先生から言われたのはダイレクトな投げかけ、例えば「自分ごと」「見える化」といった言葉を使いたくないと。それも含めてどういう言葉使いをすべきかモヤモヤしたという記憶なんです。でも最後にまとめていくときに、ずっと抱えてきたこのモヤモヤは、モヤモヤのままでいいんじゃない? という気持ちにたどり着いて。AとBを足したらCになりますみたいな答えを探すことが、今回のワークショップではないよねと。それよりも投げかけることが重要で、受け取った人が自分らしく考えていけるそのきっかけをお渡しするのが大事なんだろうと。そういう視点に切り替えながら、講評会に向けて準備を進めたと思います。
― この「モヤモヤを感じて、持ち続ける」という視点は、「不均質なプロダクト」「dividualなわたしの身体」と等価に重要な視座になりましたね。それを受けてこの日、中山先生からは下記の話が挙がりました。
社会課題を定義して、それを合理的に解決するためのプロダクトを提案する。これを問題解決型のデザインと呼ぶのなら、近年、問題提起型という意味で、「スペキュラティブ・デザイン」という言葉が使われるようになっています。「問い」そのものを浮かび上がらせることで、その「問い」が未来への仮説となり、今ある世界の別の可能性を照らすこと。あるモノが日常の中に仮説として持ち込まれた結果、その仮説が見えていなかった様々な問い掛けを呼び覚ましていくような、そういうデザインのあり方もあるんですね。
「モヤモヤのままに」には、このスペキュラティブ・デザインを連想させるところがあります。そもそも「きれいの輪郭」をテーマにしたこの一連のワークショップは、言うなればひとつの仮説と議論の塊です。あえて大学で行われている課題のかたちを採っているのは、そこに必ずクリティーク(批評)が含まれるからです。提案をゴールに置くのではなく、仮説を生み出し、それが浮かび上がらせてくれる問題もろともクリティークされることが、今回のワークショップの醍醐味だと思っています。
「きれいの輪郭」の「輪郭」とは
― 濃密なディスカッションを経て2021年10月14日、最終講評会を花王すみだ事業場で迎えることとなりました。この日はプロジェクトメンバーに加えて、ワークショップのゲスト講師でもあった竹村眞一さんや花王の関係者も集まりながら、半年間かけて取り組んできたことの成果をプレゼンテーションしました。発表の内容はディスカッションの場で出されたシナリオに少しの補強を加えながら、実際に創作した石けんや道具、香料のサンプルなどが並べられました。以下はみなさんが講評会で補強した内容の一部です。
課題テーマである「きれいの輪郭」について、私たちは一連のワークショップを通じて、それぞれ自分の言葉で語ったり、制作の中で考え続けてきました。そのなかで気づいたことは、ひとつの解答としての提案や説明には至らないということです。
自分がきれいであることの裏側には、きれいにならない事象が必ず存在しています。ある解決方法が出てくると違う問題を生みかねないというこの現実を受けて「きれいの輪郭」の「輪郭」とはそもそもあるのだろうか? そうした疑問さえ生まれていきましたが、どうやらあるには違いないと。でもその輪郭とはくっきりとした線ではなく、伸縮性がある線だということを今は実感しています。
ワークショップを始めた頃、私たちは人間にとってのきれいと自然にとってのきれいという、ふたつの輪郭について考えていました。人間は“汚れが落ちた”、“身体が清潔になった”というように、自分に直結するきれいには反応できる一方で、自然にとってのきれいに人間がどう影響を及ぼしているのか。あまり感じ取れていないことに「輪郭」という言葉を通じて考えさせられました。
この自然にとっての「きれいの輪郭」を実感しづらい背景には、人間も自然も含めた全体的な視点を持ちにくくさせている、今の生活構造にもたくさんの課題があります。例えば水を使うときも、蛇口から出て排水溝に流れていくその短い距離でしか私たちは見ていません。このモヤモヤを消していくにはどうすれば良いのか? 思考がループしていくなかでたどり着いたひとつの描写が、水の振る舞いが見える住宅の在り方です。
自分が普段どのぐらいの水を使っているのか。蛇口から出て排水溝に流れゆく距離よりもさらに長い距離で辿っていくことが想像できる住宅に暮らすことで、行動変容に繋がるのではないのか。また水を必要とする石けんが用途に合わせて自在に変化していくものであるなら。プロダクトが持つその余白が、生活に想像や楽しみを生み出します。
このような文脈のなかでプロダクト(石けん)と建築(住宅)を捉えていくと、両者には人と自然の境界線を溶かすような役割があることに気づいていきます。それは同時に自然環境の循環や調和を生み出すものとしても置き換えられるでしょう。
さらに私たちの視点の転換になったのは、竹村先生の講義で出てきた言葉「dividualな私たち」です。腸内細菌やウィルスも含めた無数の他者と共生・協働して成り立っている“私”という存在は、家庭から出る生ごみや自分の排泄物などが微生物の働きで土に還り、やがてその土で野菜を栽培して食べるという循環のなかで実感できるでしょう。また余剰作物は石けんの原料にもなります。自然のサイクルに自分も組み込まれているこの事実を感じながら、モヤモヤと考え続けていく姿勢が何より大切だと考えました。
世界や自分を捉えるスケールやフレームを揺り動かしてくれる建築や街のデザイン。それが私たちの提案する「きれいの輪郭」です。
私たちが提案する石けんのショップについても説明します。ショップでは効果の異なる6種類の石けんが量り売りされています。石けんは自分の欲しい量だけカットしてもらうことができます。包装紙はありませんので、自分自身で工夫して持ち帰ることになります。例えば今日、首に巻いていたバンダナで持ち帰ることになるかもしれません。そのバンダナからは石けんの良い香りがしてきます。
ショップには洗浄剤のプロフェッショナルがいます。石けんによる汚れ落としのレクチャーを受けることができますし、好みの香料や原料でオリジナルの石けんをその場で作ることもできます。
香料は、香りのプロフェッショナルであるショップの調香師に尋ねてみてください。私たちの様々なリクエストに応えてくれます。要望に応じて香料を調合することも可能ですし、私たちが持参した草花からオリジナルのハーブウォーターや香料を抽出することも可能です。抽出を終えた草花は作物を育てる栄養になります。世界の余剰作物から抽出した香料も並び、私たちはその香料から世界の変化を感じることができるでしょう。
住宅とショップにある循環の関係をそのまま体験できるホテルがあっても良いでしょう。住宅のシステムをもっと大きな建築にしてみると、ひとつの大きな水の流れの中に入り込むようなホテルを考えることができます。
そのホテルでは、宿泊部屋の近くに石けんの企画・開発のためのラボが併設。宿泊者はラボで最新の洗浄剤に触れることができます。ホテルのアメニティには、ショップで販売されているベーシックな石けんが揃っています。ホテルのレストランでは、調理の過程で出てきた残存物で作られた石けんを、お土産として持ち帰ることが可能になっています。
住宅、オフグリッドな石けんショップ、ホテルとご紹介しましたが、あるひとつの水回りのシステムを起点にこれらを相似形になるように展開していくことで、菌の様相を取り込むミクロなスケールから大きな水の流れを想像するマクロなスケールまで建築を通じて膨らませてみました。
そんな風に「dividualな私たち」の世界を想像していくと、都市という船の乗りこなし方が見えてくると思います。
人間界に閉じていないパートナーシップ
― 『「dividualな私たち」というキーワードがここまでお役に立てるとは思ってもみませんでした』。竹村先生はこう述べながら、プレゼンテーションに対する感想や意見を伝えてくれました。以下はその発言の一部となります。
プレゼンテーションをお聞きしながら、皆さんが描いた住宅やショップの在り方が建築あるいは都市のメインストリームになったら、すごい世界ができるなあと。人間界に閉じないパートナーシップのある世界になっていくと思いました。
同時に気づいていないだけで、そもそも私たちは人間以外の様々な生物とのパートナーシップのなかで生きているんです。ですから今後皆さんがこのプレゼンテーションを推し進めていくときの補助線になるかもしれない本について、少し触れたいと思います。『家は生態系』という本をご存知ですか? 世界各地の野外で研究を重ねてきたロブ・ダンという生態学者が家の中に棲む生物たちを調査した本です。
例えば熱帯林と聞くと生物多様性に溢れたイメージありますが、ロブの調査によると実は私たちが住む家の方が多様なのです。熱帯林がどんなに多様であると言っても、北極の生物はいませんよね。でも人の住空間には北極で生きている微生物がいます。なぜなら冷凍庫があるから。都市のガスボイラーのなかには熱帯林でも生きている微生物が棲みついているでしょう。
もしも地球の永久凍土が溶けてしまったら、そこに棲んでいた微生物たちは都市の冷凍庫でしか生き永らえないかもしれません。図らずも都市の住空間が世界の生物多様性のノアの箱船のようになるかもしれないと、ロブは本の中で述べています。またそうした悲劇的なストーリーが現実のものにならなかったとしても、住宅とはすでに地球上の生態系の縮図のような状態になっているのです。
私が本を読みながら特に膝を打ったのは、「住宅とは実は見えないシェアハウス」だという視点。例え一人暮らしをしていても、見えない様々な生物と一緒に住んでいるのだとロブは述べています。その生物とシェアしている環境を私たち人間がどれだけいい形で調律し、生物多様性としてこの地球をアップグレードしていけるのか? それこそが「dividualな私」「dividualな私の住宅」と言えるでしょう。
もうひとつ。よく地球の有限性について語られますが、私たちの社会構造がバッドデザインであることが有限にしているんです。ですからこの先はより地球の生産力を生かした生活を考えていく必要があるでしょう。それは地球の時間軸、リズムと同期するような住空間、消費空間を考えることでもあります。植物は日が昇ると葉が開き、日が暮れると葉を閉じます。葉の開閉運動などにも概日時計が関与しているように、人間以外の自然や生物のリズムに波長を合わせていくことが手がかりになると思います。
私たちは誰もが誰かの川上であり、川下でもあります。もちろんここでいう“誰か”とは人間に限らないのです。
生きた輪郭
穂積|reframingでは普段意識しないすごく大きなスケールで物事を考え続けることができました。それまでは洗浄剤といったプロダクトをデザインするときも意識する範囲はプロダクトの置き場であるとか、生活のなかでも狭い範囲だったと思います。でもこのreframingが指す生活の範囲は、住宅や都市、果ては地球までが含まれているんです。これほど大きなスケールで自分たちの作るプロダクトについても考えたことがなかったので、とても刺激になりました。
中山|穂積が言うように普段プロダクトは自分が買って、使って、捨てるくらいまでの範囲しか見ていないもの。でも本来はもっと大きな全体があるわけですよね。自分の目の前の範囲しか見えないというのは誰にでもあることですが、その現実を知る機会がもっと増えるといいなと思いました。見えることで思考が始まりますし、もっと切実にみんなが考えるようになれば、変化のスピードが早くなるだろうなと思います。花王の人間として、そういう機会が増えるような仕掛けを作っていけたらいいなとreframingを通じて感じました。
今井|私が今感じていることは、reframingで考えた生活様式やショップ、ホテルなどが文化として根づく社会を作るために、何ができるのかということです。私たち花王のプロダクトは、高機能を保ちながら安価で毎日使えるもの、という利点で購入いただいているのが大半ではないかと思うんです。そこにreframingの生活様式が加わったら、また違った観点から花王のプロダクトを選んでくださる方が増えると思うんです。そうなったときに、それこそ地球規模での変化をもたらすことができるんじゃないか。そう思っています。
川北|私は講評会を終えてから今もずっとモヤモヤを抱えながら生活しているような感覚があります。何気なく手を洗っている瞬間に「この水って……」。ごみを捨てにいった瞬間に、「このごみはあそこを辿るのかな……」と考えたり。やっぱり生活のなかで意識するスケールが変わったことは大きいですね。
成定|私は「reframing」という言葉に辿り着いた達成感がある反面、決してそれは私たちの意識・行動を変える魔法の言葉ではなく、新たな視点を獲得したに過ぎないと感じています。1人の人間として日常の一つ一つをどう選択・行動していくべきだろうか、身近なことでさえまだまだわからないことばかりです。これまでと違ったスケールで世界を捉えること、その思考の領域をもっと広げたいと思います。
藤井|僕は石けん生活を変わらず続けているのと、あとは身の回りのものが自分の延長線上にあるんだなという実感が強くなりました。例えば紫陽花の鉢植えを買って窓際の机の上に置いているんですけど、東向きに窓があるので、朝しか陽の光が入らないんですよ。すると紫陽花は窓の方に向いている葉だけ育つし、僕が水をやらなければ元気がなくなるし、紫陽花もまた自分の生活の延長線上に生きているんだと実感するんです。さらに窓越から見える道路の脇に植物が生えていているんですが、あの植物たちも、結局僕らの延長線上にあるんだなあと。そんなこともときどき思ったりしながら生活しています。
小島|私は自宅前の歩道のごみを拾うことが習慣になりました。すると通りすがりの方から「ありがとうございます」と声をかけていただいたりして。自宅の延長上にあるスペースがきれいになって気持ちが良いだけでなく、新たなコミュニケーションがうまれる喜びも感じます。ささやかですけど、そんな気づきを得て、今暮らしています。
引間|今、こんなことをやっていますよと、自慢げに言えることは何もありませんが、外にごみ出ししたときに虫がついていて、いつもならその虫を排除するところを、虫も一緒に生きているんだなと、共存関係を感じてそのままにしたり。とても小さなことではあるんですが、当たり前だった景色の見え方が少しずつ変わってきています。
穂積|人間が暮らしやすいように、私たちは人間以外の自然や生物に手を加えてしまっているんですよね。例えば猫と暮らしていると、ちょっと目を離した隙に仕事用の椅子の上で猫が気持ちよさそうに寝ていることがあります。そんな時、仕事に戻らなきゃならないからどいてくれないかな、と起こしてしまうことが多いです。でも猫はそこで寝たいから寝ているわけですよね。生き物や自然が生きている方向に人間が合わせていくこともやっぱり必要なのではないかなと。それは竹村先生がおっしゃっていた人間界に閉じない様々な生物とのパートナーシップにつながるかもしれません。
― 「みなさんが描いた新しい生活像は、建築や都市の世界ではかなりラディカルな提案になるのでしょうか?」。これは講評会で竹村先生が中山先生に投げかけた問いです。最後に中山先生の回答を持って、「きれいの輪郭」の記録を閉じたいと思います。
20世紀初頭の建築家たちは“私の考えこそが次の世界のユートピアを作るスタンダードだ”と、一つの思想で世界を埋め尽しても全員がハッピーになれると信じていた時代もありました。
私たちが提案した生活像は、そうした“これが次のモデルである”と高らかに歌っているというよりも、こういう考え方をしているコミュニティがひとつ、生活のなかで生まれると、私たちがそれまで知らなかった、見えていなかった何かが見えるようになるかもしれないですよというひとつの提案になります。ここからいろんな問いが生まれ、その問いから様々な問題が呼び覚まされることにもなると思います。
その過程で自分と世界の関係もまた更新されていく。きれいの輪郭線とは生きた線なのだと思います。